河合隼雄さん、心理学者の世界
心理学者の河合隼雄さん。アイルランドのケルトや、ネイティブアメリカンについての本も書いてらっしゃってますね。そこには、同じことが書いてあります。ちょっとずつ、いくつか抜粋してみようと思います。
セラピストの力で治すのではなく、より大きな何かによって治っていく。
〜「ナバホへの旅 たましいの風景、河合隼雄著」より一部抜粋。 〜
メディスンマンは訓練によって、変性意識状態になることができる。変性意識とは、通常の意識とは異なる意識状態のことで、精神病者もなるが、そのときは、日常の世界と非日常の世界が混交してしまって、現実認識が混乱してしまう。が、メディスンマンのように訓練によってなる場合には、必要な現実認識は保たれていて、明晰性を失わないところに特徴がある。禅僧が座禅をするときなどにも、同様のことが生じる。
このような変性意識のことがわかるまでは、近代の医者や心理学者は、精神病者もメディスンマンもごっちゃにしてしまって、同じような病人とさえ思っていた。そして、メディスンマンのすることなどは、迷信かごまかしか、精神病か、くらいに思っていたのだが、最近は以上のようなことがわかってきて、メディスンマンに対する評価も変わってきたのである。
<中略>
ジェームズさんは祈りや儀式のたびに、変性意識状態になるわけだから、儀式の後でひどく疲れるようなことはないかと質問してみる。ジェームズさんは、「確かに疲れるけれど、自分が癒しをしているのではないので、それほどは疲れない」と答える。それでは誰が癒しの仕事をするのか。それは「聖なる人」の仕事であり、ジェームズさんは、ただ呼び出しているだけなのだと言う。祈っても「聖なる人」が来ないことはないかと訊くと、「必ず来る」との答えだった。
私は心理療法をはじめた若い頃、どうしても自分が役に立ちたい、自分の力で治したい、という気持ちがあって、そのために、自分が病気になるのではないか、と思うほど疲れたが、そのうちに、「私の力」で治すのではないことが実感されてきた。もっと大きい力によって治ってゆくことがわかるようになったので、あまり疲れなくなった。これは似たような体験と言えるだろう。もっとも私の場合は「聖なる人」が現れるわけではないのだが、この点については、次章で少しつっこんで論じることにしよう。
(編集中)