タラク・フラワーエッセンス

植物や鉱物などのエネルギー的なアプローチ、現代社会の日常を生きる上での助けになればと思います。

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※植物のエッセンス、鉱物、場のエネルギー、、花だけに限らない場のエネルギー、主に聖地のエネルギーを転写して持ち帰ってきたエッセンスたち。植物、鉱物、場、聖地、、それぞれの本質を人間の意図の介さない…自然界のさらに先にあるエッセンス。それは全て聖なるものという世界に存在するような気がするので、それだからこそ、人間の感情や意図の入らない神聖なものとして扱いたいと思います。ワタシが作ったものではない、そこにあって待っていてくれたエッセンスたち。


タラク・フラワーエッセンス

さまざまなフィールドで得たエネルギーを保持した水を転写したボトルや、植物のエネルギーをアルコールに抽出したボトルをお渡しするボトルのシリーズです。※ホンマかいな、という繊細なエネルギーを活用したい方向けです。

 

 

2023年の10月、久しぶりの海外。イギリスのグラストンベリーとインドのバラナシとブッダガヤに”エッセンス”を作りに行ってきました。”タラク・フラワーエッセンス(holy:聖なるもの)聖地だからホーリー?でも、すぐそばにやってきている植物たちもホーリー、鉱物も、河も、、聖地も。そして、人の本質も。ホーリー(holy)です。

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人の本質もホーリー(holy)。それは確実で、バイオエナジェティックの施術者は確信しています。そのエッセンスに触れることが、どうやったらできるのか?人の個人、個性、、感情、思考、、その外側にいくことです。そこには、holyが満ちている。邪魔をしたり傷を抱えているエゴの外側に行くと、そこには生命の叡智と光が満ちている。全てはそこから始まり、癒しはそこからはじまる。それが、施術の本質です。

 

初めにそこにあったもの

勘違いしてはいけない。各地を巡って作ったエッセンスたち、そして、その土地に育っている植物たちのチンキたち。それらは、”ワタシが作った”ものではありません。初めにそこにいて、助けようとそこに待っていたものたちです。それらは、”作り出した”ものではない。出会った”存在たち”です。

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奪う奪われるの人間の世界、感情の世界、、。その中で苦しむ人間たち。植物の、聖地の、エッセンスはその外側に存在し、気づかれることなくそこにいて手を差し伸べてくれている存在たち。本質、エッセンス。エゴの外側へ、ようこそ。植物と聖地の、エネルギーフィールドの世界です。

 

 

内容

自作のチンキやフラワーエッセンスを用いたエネルギー療法。※口に入れたり肌につけたりはできません。数滴を手にとって体の周りの空間に触れたり、スプレーなど体の周りや部屋の空間に触れるように使ったり、ただエッセンスの入った瓶を持ち歩くという使い方をします。

 

 

対象

気のせい?みたいな微妙なエネルギーに興味のある方向け。

 

 

使い方

飲用ではありません。体の周りのフィールドに触れたり、あるいはスプレーなどで空間に吹きかけたりして使います。

 

 

繊細なエネルギーにシンクロしていく。。

現代の生きづらさ、尽きない刺激、、影響を受ける、繊細な方。何に触れ、何に意識を当てているかで状況は変わります。不協和音の世界にシンクロするのではなく、大自然のソースにシンクロしていく。。その助けになるかもしれないボトル。それをお渡しすることがお役に立てればと思います。

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 とくに、オステオパシーのバイオダイナミクスやバイオエナジェティックの施術をしているとわかるのですが、焦点を当てたものが拡大していく。違和感、不協和音に焦点を当てると、、エネルギーを得てどんどん混沌は拡大していく。。一方、静けさ、、美、、自然界の背景にある神秘、、そこには癒しがある、そこに焦点を当てると、、癒しが広がっていく。ボディワークの世界の大原則です。

 不協和音の世界にシンクロするのではなく、大自然のソースにシンクロしていく。。その助けになるかもしれないボトル。それをお渡しすることがお役に立てればと思います。

 

 

ボトルについて

ボトルはソース(自然界)のものです。そこに人間の感情やパーソナリティは入っていません。純粋に、、自然界のエネルギーを扱っています。

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ですので、施術者がすごい人だとか、この施術者が作ったモノだとか、という認識や執着があってはお渡しできません。ボトルに対する敬意があり、施術者は何でもない存在であることが理想です。

 そのように向き合える方のみ、ボトルをお渡しすることができます。※執着や感情が邪魔をする場合は、お渡しできないと判断することがあります。その場合は、体が整い感情がクリアになるころまでタイミングを待ってください。

 

 

なんでも渡せるわけではない。

なんでもお譲りできるのではなくて、合うか合わないかは見させていただきます。合わないものはお譲りできませんので、ご了承ください。※そのご自身の時期によって、合う合わないもぜんぜん変わってきます。

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※「このボトルが欲しい!」では、欲求や感情のレベルから先に進めないので、たぶん選ぶことはできないと思います。

”これが欲しい”というとき、知識や、過去の体験や情報、それに紐づく想いや欲求といった感情が絡まっていることが多いですが、エッセンスはそこからは選べません。今の、純粋な本質、そのエッセンスからボトル(エッセンス)を選ぶのです。

 

 

ボディワークとの組み合わせ

ソースフィールドシリーズは、基本的に施術のメニューとご一緒に受けていただけたらと思います。植物やフィールドのエネルギー、、との組み合わせ。

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継続的にセッションに来ていただいている方でも、ソースフィールドシリーズのボトルを選んだりブレンドしたりした後に、施術をすると体がもうすでにだいぶ繊細なレベルで整ってきています。さらに深い領域、、何かもっとエッセンス(本質)に触れるような施術になることもあります。

 

 

テーマ

テーマはあってもなくても大丈夫ですが、ソースフィールドシリーズのボトルを選び、そのボトルの役割に触れることを目的とされた方がいいと思います。

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会話の中で、、自然に現れたボトルを選びます。「このボトルが欲しい!」では、欲求や感情のレベルから先に進めないので、たぶん選ぶことはできないと思います。

 

 

コンセプト

わたしはミキサー(Mixer)であろうと思っています。ミキサー(Mixer)とは、、手技により治療を行うオステオパス(施術者)がオステオパシー以外に別の手法を併用してミックスして治療を行う施術者のことです。

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 本来、オステオパシーでは手技による施術だけで体の怪我から病気まであらゆることが治せるのが本当のオステオパスであり、すべてはこの両手によって治療が可能である、それが純粋なオステオパスである。ということを創始者のA.T.スティルは言っていたようです。もちろん、目指すところはそこですが、、最近思うようになったのですが、ある種のフラワーエッセンス(通常の感情を対象にしてるのはちょっと違う。)や石の持つエネルギー的な作用は、ホンマちゃうか?と感じる機会が増えました。実際に体や知覚が変化するし、助けを得ることができる。自然界のエッセンスたち。

 わたしが普段の施術で感じるのは、、かつてのA.T.スティルが生きていた時代のように、われわれは自然界からサポートを受けられる状態にはいない。施術を受けると、、リージョン(病変や歪み)が手技により解消され、エネルギー的にも物理的にも代謝の流れが起こり、滋養と解毒が起こり体内では治癒が自然に進んでいきます。治癒の向かう方向へ、、自然と導かれる。それは、人類が住んでいた環境もそれをサポートしていました。穢れのない純粋な自然界の持つエネルギー、、大自然に触れるだけで癒しが起こります。体も心も常に正常に向かうようにサポートを受け続けていました。真っ暗な夜、静かな音、、自然界の音、鳥の鳴き声、虫の声、風の音、葉っぱの揺れる音、、雪に吸い込まれる音、、。それらは、全て癒しのエネルギーを放射していました。何もしなくても、自然界は治癒に向かうエネルギーを我々に届け続けてくれていた。だから、手技だけで治療は可能だった。しかし、わたしは思うのですが、、周りを見渡してみる、現代。人間社会、、きつい。人工物に囲まれ、電磁波、ワクチン、ストレスの感情、不協和音、、人工的な光、ノイズ、、。自然界は疲弊している、、都会ではラウンドアップ、除草剤により草は疲れている。刺激により目が痛い、耳が聞こえない、、柔軟剤の匂い。人類はあらゆる影響を、、受け続けている。眠れない。浅い眠り、、。

 自然界から常に得ていたサポートは、この時代には弱まっている。自然に触れようとしても、本当の自然のエネルギーは、、都会ではなかなか感じられない。田舎に行っても、、僕は子供の頃のような、、感じられない。常に癒しに向かい続けていた、A.T.スティルの時代、、常に疲弊に向かい続けている現代。

 人は自然界からのサポートを必要としている。自然界から、、自然界の持つ、、本来のエネルギー。ソース。身にまとう自然界のエネルギー。それが、ソースフィールドシリーズのコンセプトです。

 

 

働きかける対象

感情そのものではなく、その背景にある叡智。『力はその源に戻ったとき最大になる。』

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フラワーエッセンスなどのセラピストさんとお話ししてると、、やっぱり大きく二分されるように思うのですが、(ボディワークと同じですね、、)立ち位置で考え方も効果も”対象”も変わってきます。どういうことかといいますと、(一般的なあらゆるワークも含めて)フラワーエッセンスは”感情にアクセスする”ということで、本当に感情を対象に(限定された世界で)扱っているセラピストさんが多いように思います。

バイオエナジェティック・オステオパシーを学ぶ者ならフラワーエッセンスをやっていても自然と行なっているのが、感情をなんとかしようとか感情を対象にして見つめたりはしないということ。つまり、、感情は、、表層の”現象”に過ぎず、混沌としている領域であります。しかし、感情の背景にはもっと密度の薄い自然界があり、もっと透明なそのエッセンスだったり、それを保持してサポートしてたりする”叡智”があります。その叡智の方に、アクセスするのがバイオエナジェティック・オステオパシーの施術者です。

問題や混沌の解消が起こる際には、、感情というものも現れたりしますし、そのときは一見、感情にアクセスしているように見えるかもしれません。しかし、植物は感情の産物ではなく、もっと透明で中立な領域にいます。感情には混沌がありますが、自然界にはそれがない。そこにこそ癒しがあります。だから植物に癒される。

感情が現れたり乱れたり動いたりするのが目的ではなく、本当はその背景にある叡智の方にアクセスしている。大いなる癒しの力にアクセスしているのが、自然界やその背景の超自然界にアクセスする植物のエネルギー療法です。たぶん、フラワーエッセンスも本当は、創始者の頃にはそのように使われていたのではないかな?とか個人的には思ったりします。

わかりやすいのが、最近伺った話で、、「エッセンスを作る際の、施術者にとってその日の情報やあった強烈な出来事が反映される」という話を聞きました。それを初めに聞いた時は、強烈な出来事などのショックで起きた感情の波がエッセンスに影響したり取り込まれたりするのかと、いう印象を得ましたが、(一般のセラピストならそのように作るし捉える方がおおいでしょう。)しかし、その方は、そこから辿り着いたもっと透明な領域にまで達していてそこから作っていました。その出来事から繋がった信頼や自分の役割、奉仕すること、運命。

個人の感情の渦を投影したり反映してエネルギーを奪い合うこの人間社会で、その感情のエネルギーから作ってしまってはより混沌をますだけ。同じ領域からは癒しは生まれません。もっと密度の薄く、中立で透明な、、広い自然界。その背景にある神秘。源と繋がり、地球とつながる。そうさせてくれるものがエッセンスだと思います。

最近受けたネイティブアメリカンの植物療法講座のなかで、印象的な一節を思い出しました。『力はその源に戻ったとき最大になる。』

 

 

ネイティブとしてのひとの存在

バイオエナジェティック・オステオパシーを学び始めて8年、植物療法やネイティブアメリカンの世界観を学んだり、実際にチンキや軟膏を作り、時にはフィールドに出かけてフラワーエッセンスを作ったりしてきました。

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その中で、人間として自然界から影響を受けこの日常を生きていること、しかし、人間は社会に取り込まれ、人間の作り出した虚構の仮の世界で生きている。頭の中で生きている。実際には、自然界に囲まれ、その中で現実を生きているのに。失われた感覚、つながり、、それらを再び目覚めさせた時に、我々はあらゆるものと繋がって生きていることがわかる。

ネイティブアメリカンの植物療法の講座で聴いたのですが、古来からの生き方をしてきた世代のネイティブアメリカンを数人、コンクリートの建物の一室に、隔離したら、、数時間して外に出てきた彼らは、”わ〜っ!!”と気が狂いそうになっていたそうです。我々人間の本来の姿、自然界の中で生きている時には、、周りの状況を常に把握して感覚を外に向けて開いておかなければ生き延びられません。(と、同時に内的感覚が開き、見逃してしまうような些細な感覚まで知覚するようになる、、超感覚。)その自然界からの情報を常に受け取り関係性の中で調和して生きている人が、人工物に囲まれた無意味のつながりのない空間に隔離された時に、頭がおかしくなってしまう。そのように、本来人間は作られているのだとしたら?この現代社会で生き延びていくのに、体調もおかしくなってくるのは当たり前なのかもしれません。

自然界から得ている情報、、自然界とコミュニケーションをとっていて大きなつながりの中で生きていること。スピリットを大切にしているひとたち。自然界からのサポートは、実際にあったし必要です。我々はそのようにできている。

 

 

ソースフィールドシリーズとは一体何か?

わたしの施術を受けてきた方はなんとなく気がついている方もいらっしゃるのではないかと思いますが、ひとの存在はただの物理的な体としてだけではなく、もっと繊細な領域にまで渡り知覚している潜在的な”体”も持ち合わせて生きています。

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わかりやすく比喩的に説明すると、、

・人間界、最も粗い感覚の物理的な肉体。固体。現代人は人工物に囲まれこのレベルの知覚しか認識していません。
・感情、液体的な存在。澱んだり、乾燥したり、ズレたりする病変の多い領域。伝播したり感染ったりする。人間社会はここでのやりとり、有限のエネルギーの奪い合い、、。
・自然界、気体的な密度と軽さ。より透明で回復力のある領域。
・超自然界、自然界を司る秩序。生命の源。癒す力のある領域。

古代の人間とは違い、我々現代人はこの中の自然界と超自然界から切り離されています。こことの繋がりが回復されれば、より健康に本来の自分の運命を生きられるかもしれない。

古来の人は実際に自然界の中に囲まれ、その背景に創造主を意識して生きていました。神さま?本当にいるんでしょうか?信じるべきなんでしょうか?、、いや、信じなくても、思い込まなくても、イメージしなくてもいいです。むしろしない方がいい。現実を頭で作り出すのではなく、そこにあるリアルを何も変えることなくそのままに感じ取るだけ。ただ、この自然界を本当に、、頭を通してではなく、、感覚を通して認識できるとき、、あなたの体は、意識は自然とシフトします。効果がある、、それには信じ込んだりしなくても大丈夫です。そのようになっている。

自然界から影響を受ける、、とはどういうことでしょうか?一方、人間界から影響を受けてしまって苦しい、とはどういうことでしょうか?自然界には癒しがあって、人間界には感情の混沌が渦巻いている、というのはみなさん経験からわかっていると思いますが、ボディワーク目線では次のように説明できるかもしれません。人間界、感情界、自然界、超自然界、、それらを意味ではなくて感覚で知覚してみると、、密度の違い、粒子の繊細さの違い、リズム、、で分けられるかと思います。

ひとは焦点を当てたものに自然とシンクロしていきます。しずかなリズムの木々の葉っぱの揺れる姿をみていると、、自然とリズムがゆっくりになり、、だんだんとリラックスしていきます。朝日の光を見ると、、夕日の美しさを見ていると、、自然と自分がシフトされていきます。そのように見ているもの、知覚しているものの繊細さに合っていくのですね。一方、ひとの感情に焦点を当てると、、どんどん乱れて拡大されて混沌としてきますね。

自然に囲まれ神秘に触れていたネイティブがそれとシンクロして生きていたように、我々もそのリズムと空気にシンクロすることができたら?人間界にある混沌に染まりがちな現代社会で生きる我々、どこに回復がある?癒しは?自然界のリズムです。そしてその背景にある神秘。我々を生かし、助けてくれるエネルギー。
ここでいうエネルギーとは、その波長、粒子感、繊細なリズムのことです。

そのリズムに、粒子に、、波長に触れると、、自然とそれにシンクロしていく、、。繊細な人ほど、感情の世界ではなく、自然界のリズムに触れることで回復していくでしょう。なぜ”繊細”なのか?感情回のリズムに気がつきそこに波長を合わせてしまうから、というのも一つの側面かもしれませんね。

自然界にある、波長、、リズム、、エネルギー。それに触れる。

それが、ソースフィールドシリーズのボトルのこの世界での役割として活動できたら、と思います。

 

 

つくるとき:雰囲気

フラワーエッセンスの要領で、その土地のフィールドを転写してお水を持ち帰ることがあります。そのときの、雰囲気。

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その場所を汚さないこと、
人の想念や、欲求を持ち込まないこと
人間の臭いを発しないこと、
謙虚さ、
足跡を残さないこと。


その土地の、場の、空気の、
許可を得ること。


 

 

考えていること

日本各地でもこれからも仲間たちと作り続けていきますが、個人的にはいつか近い将来、、インドの北部、ヒマラヤへ旅に出たいと思ってます。(現実的には施術もあるので1ヶ月くらいかな。)

 

→※2023年10月、3週間弱という短期間でしたがイギリスのグラストンベリー、インドの北部、バラナシとブッダガヤにエッセンスを作りにいってきました。ヒマラヤへは時間もお金もなく行けませんでしたが、次回その源流を目指す旅をしたいと思っています。「ボトル一覧」ページに作ってきたボトルたちが載っています。

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各地の聖地なのかなんなのか、、日本を離れ、、かつて私がバックパッカーとして3年間を過ごし、日本から離れた時に感じた自由と世界の透明さと光、、乾いた空気と人の距離感、、もっと繊細な精妙な何かが日常の背景に普通に流れている世界。そんなフィールドのソースを持ち帰ってこれたなら。

この人間の社会、日本独特の何か監視と同調の人間社会、、から、、世界に流れるソースへつながることができたら、、軽く透明で自由、、ずいぶん楽になるんではないか?かつての私はそうだった。それが皆様のお役に立ってくれたのなら、、。 


どんな旅になるか。


たぶん、各地の、、聖地なのか、静かな地なのか、、賑やかな地なのか、 わかりませんが、


世界の、エネルギーを 保持したエッセンスを作ってくる旅になると思います。


まず、行くとしたら、、


インド。
インド北部のヒマラヤへ。



**



日本は閉塞感がある。
だから、生きづらく。
23年前に、旅に出た。3年間の一人旅、初めての海外旅行。



アジアには、空気があった。


ひろく、息ができる。


聖地、静けさ。


手付かずの、あるいは尊敬、敬意を持たれた自然界。


そういうエネルギーを、
日本で生きていくためには特に必要としている。


とくに繊細な方々。


たぶん、そういったエネルギーに敏感であるほど
なにも知識がなく、世界の構成と
焦点を当てること、そういうことがわからないと
繊細な方は、粗いエネルギーを受けてしまう。



繊細な方ほど、世界のエネルギー、フラワーエッセンス(のような)のような
微細なエネルギーを必要としているかもしれない。



そして、たぶん、
一般向けにはあまり人気ないかもしれない。繊細すぎて、わかる人にしか分からないから。
効果があっても、それを感じ取れないから気がつかなかったり。



そんなエネルギーを
保持して持ち帰ってこようと思ってます。(そのフィールドの”許可”があれば、です。)

 

 

作用

ボトルはどういうものとして捉えたらいいのでしょうか。ここでは、ひとつわたしの持つ印象を書いてみましょう。

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たとえば、感情に働きかけたり、想いや、達成したいことや、こういう風に変わりたい、こうなりたい、、など、、というあらかじめご自身の”意図”ありきの使い方はしません。それはとても限定的だし、植物や鉱物やフィールドとの関わり方としては、、人間の都合目線となってしまいます。人間の想定したことに向かわせようということは、この世界では矛盾と混沌を生み出します。その場では一見よいように見えても。。

そのボトルの持つ存在、、そのボトルが保持するエネルギー、、自然界のエッセンス。それに触れた時、、どうなるのかしら?

という使い方をします。それによって、自分が変えられる。。それに触れる、、純粋に、混じり気なしでそれに触れるためには、、こちらから観察しにいってはなりません。こちらから見に行くとき、、自分のエゴの意識のフィルターで、その純粋なタッチを妨げてしまいます。純粋に、、それに気がつくには、こちらは受け身、、それがやってくるのを、それがやってきて触れるのを待つ。すると、自分の存在が反応する。自然と、、。コントロールのない世界。

そして、それが効果を発揮する。もしかしたらそれが、”プロテクションとして作用する”、と感じるかもしれない。 そして、そのように、日常の生活、人間社会の混沌を乗り切るために、”プロテクション”として使うかもしれない。 そのように、役立てるかもしれない。

たしかに、そういう一面もある。

しかし、自然界のフィールドのエッセンスはもっと大きな世界ではないかと思います。人間の意識では捉えられないような、、われわれの知っていること、感知していること、その想定の範囲の外側に、広大な可能性をもった存在が、そのエッセンスだとしたら?

たとえば、こういう解釈もできるかもしれない。

そのエッセンス、そのエネルギーに触れる、、純粋なエネルギー。そのフィールドや植物や鉱物のもつ、役割。。奉仕したいと願っている、存在のエネルギー。それに触れる、、その時われわれはどうなるのか?ダークな方向から光に向かっていく啓示を受けるかもしれない。

(それは、プロテクションとして効果を発揮しそのように使えるかもしれない、、。しかし、それだけではなく、、)その純粋なエッセンスに触れて、、しだいに自分の内奥の何かがすこしずつ変化していく変容していく、、。何か別の存在になるのではなく、、上と繋がり、地球とつながる、、自分の中心に、つながる。

そのように、未知の、、しかし、本質にある何かに触れる。 そんな使い方もできるかもしれない。存在のエッセンスの光を覆い隠す傷がすこしずつ解消され、すこしずつ本質が現れてくる。何かが変わっていく。

ここで、バイオエナジェティック・オステオパシーのカリキュラムの一環として学んだ植物療法の先生から、教わった植物の存在について、軽くシェアします。

植物は、無から有機物を作り出せる唯一の存在。太陽と地を繋ぎ、他者に奉仕する。エゴがなく、決してダークな方向にはいかない。光に向かって成長する。虫さん、はちさん、わたしはここにいます。ここにいて、奉仕したいと願っています。
植物には効果効能がある、、しかし、人間が知っている知識は限定されたもの。せまい。その外側に無限の可能性がある。人間の知っている効果効能、、知っていること、想定していることから、植物を使う時、、その知っている範囲の限定された効果しか発揮できません。”お腹が痛いのが治るように”とか”風邪に効くように”とか、、という限定した使い方はしません。
植物は、人と関わりたがっている。すぐそばにやってきている。奉仕したいと願っている。より高次の存在と関わり、光に向かって成長したいと願っている。植物にはそれぞれ役割があり、運命を持っている。
植物のエッセンスを摂るとき、その存在を尊重しその植物のボトルとつながります。そして、『この植物の運命が成就されますように』とエッセンスを摂るのです。無限の可能性。
植物の持つ運命、この世界での役割。人はそれを受け取り、愛をこの世界に返します。
太陽から愛が放射され、植物はそれを受け取り奉仕し、人間はそれを受け取り、愛をこの世界に返す、、そして、循環に参加する。
根源→太陽→植物→人間→愛→月の女神→根源・・・循環。


何かを変えようとしたり、達成させようとするのではなく、、そのエッセンスにつながったとき、自然界のエッセンスに触れる。そして、(直接的な”プロテクション”などの恩恵を受けるとともに、)そのとき、内奥で変容が起こる。。気が付かないかもしれない、、静かな変容。(ご自身の、そして自然界の)本当のエッセンスにつながる。(ボディワークと同じですね。)

そのように、ボトルと繋がってみたらいかがでしょうか。

 

 

作成

基本的には次のような流れになると思います。

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テーマがある方はそのお話をされてもいいですし、、あるいは、ぜーんぜん普通の日常の会話や興味を持ってることなど、、自然と会話の中から、いい感じのボトルを選び、、ご自身のフィールドと合うかどうかを見させていただきます。(ボトルの作用は、ご自身の今の状態に合うもの、、時やご自身の変化の状態が変わっていくと、合うものもいずれ変わってくるようです。)

一つだけのボトルを選ぶかもしれないし、いくつかのブレンドになるかもしれません。

ここではエネルギー的なアプローチをしますので、ベースとなるボトルに1〜2滴ほどずついれて、フィールドのエネルギーを保持しそのボトルを持ち帰っていただきます。

※ボトルの内容は、飲用目的には作られてませんので、飲用はしないでください。

手に数滴とってご自身の周りの空間フィールドに触れて馴染ませる、スプレーのボトルに数滴たらしてフィールドにスプレーする、あるいは、ただ持ち歩くだけ、部屋に置いておくだけ、という使い方をされる方もいらっしゃいます。