バイオエナジェティック・オステオパシーを施術する者として、体を、我々の存在をどのように見ているのかをざっと比喩的に描いてみようと思います。
物質としての「肉体」って、何なのか?
肉体に現れた症状、問題、痛み。あるいは、姿勢、、。
肉体を治すということは、どういうことか?
- 肉体を治しても、すぐ戻る。原因が治療されていないから。
- 原因はどこにあるのか?
- 原因は、肉体以前の、、つまり、肉体が形作られるための材料となるフィールドにある。
上記の引用は、ある本の、ホメオパシーについての対話です。ここで言っているのは、まず意識があり、その意識が浸透した肉体がある。その意識も肉体も、おおもとの魂のそれぞれの現れである、ということ。ちょっとバイオエナジェティックの世界と似たところがあります。
肉体が構成されるまでの過程を、次のように比喩的にイメージしてみます。
受肉するプロセス、という感じです。
- まず、気体的な性質を持つフィールドがある。、、密度が薄く、中心軸から水平線まで広がる大きなフィールド、、。【気体的なカラダ】
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受肉のプロセスが、始まる。。気体的なカラダが、集約し密度が濃くなっていく、、徐々に次のレベルのフィールドになっていく。、、
- 液体的なフィールド。液体的な密度、中心軸から50cm?たまご型の液体的フィールド。【液体的なカラダ】
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さらに、受肉のプロセスが続く、、。液体的なカラダが集約し密度が濃くなっていく、、徐々に次のレベルのフィールドが形成されていく、、。
- 受肉、物質化。個体、実質としての身体。【肉体】
身体の模式図①、こんなイメージ?
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【肉体(固体)】、その周りに【液体的なカラダ】、その周りに【気体的なカラダ】。
すべて中心軸から始まり重なり合っている。
密度が違う。レート(リズム)が違う。
肉体:固体、リズム早い。人間界。
液的カラダ:液体、リズムゆっくり。2〜3サイクル/分。感情界。
気体的カラダ:気体、リズムさらにゆっくり。1サイクル/100秒。自然界。
そのカラダの外には、空、無、静寂が広がる。
↓ここから先は、「カラダがそうなっていないとわからない」世界かもしれません。ロルフィングの10シリーズ、さらにその先にある施術を受けている方には徐々に理解できていることかと思います。
原因は肉体にはないですので、その原因があるカラダを治療する必要があります。
原因に到達せず、肉体をいくら治しても、エネルギー的なフィールドの欠損があるとそれに合わせてまた受肉を繰り返してしまうからです。
- 肉体に症状が現れている。
- 原因はどこか?
- 肉体以前の、肉体を形作る元になっているエネルギー的フィールド(”液体的カラダ”、”気体的カラダ”)を見る必要がある。
- ”液体的カラダ”、”気体的カラダ”に問題はないか?そこが治っていないのなら、いくら肉体を治しても再び現れる。
- 原因の治療が必要、、。原因はどこ?
- しかし、”液体的カラダ”、”気体的カラダ”に原因があるのではない、さらにその先のフィールドにある。
- そこまで辿り着こうというのが、バイオエナジェティック・オステオパシー。
身体の模式図②、カラダの各フィールドと、病変のフィールドの関係性。
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【肉体のフィールド】、【液的カラダのフィールド】、【気体的カラダのフィールド】。
密度の順に、リズムの順に図にしてみた。
原因は、気体的カラダと静寂の間にある。
症状は、原因から発生し、各カラダのフィールドに、病変のフィールドを作り出し、症状として保持されている。
原因を解消することで、全フィールドの症状は消える。それが、バイオエナジェティック・オステオパシーの治療。
原因を解消しなければ、症状を消してもそれは再び現れる。
- 肉体に症状がある。肉体以前に、液的なカラダがある。液的な身体の問題を解消する必要がある。しかし、液的なカラダの前に、気体的なカラダがある。気体的なカラダの問題を解消をする必要がある。
- 肉体、液体的なカラダ、気体的なカラダ。そして、実はそれ以前の根元のカラダがある。
- それは、無、空。静寂。
- 静寂のフィールドと、気体的なカラダの境目に原因がある。この原因が存在すると、気体的なカラダ、液体的なカラダ、肉体、、に症状として現れる。
- 原因の解消を、”静寂”の中で行う。
- 人智を超えた”静寂”の中で治療するのが、バイオエナジェティック・オステオパシー。
バイオエナジェティック・オステオパシーでいうところの”静寂”とは、別の分野では別の呼び名を使っている。
神道の本を読んでいたら、ヨガの世界観と一緒に紹介されていた図式がありました。
- 神道で言うところの、分け御霊。大元の御霊と同じものが、われわれの存在の中心にある。分け御霊。最も透明で、、神様が我々のうちにいる。
- ヨガでいうところの、真我。この大宇宙の大霊、すべての根源と同じものが我々のうち、ハートの中にある。神と同じもの。
- 分け御霊、真我。それと、バイオエナジェティック・オステオパシーの”静寂”とは同じもの。
- その静寂は「ダイナミック・スティルネス」、と呼ばれる。
静寂を邪魔し、病を引き起こすもの。
我々の本質は真我であり、病などない光そのもの。なのに、なぜ、病気となるのか?
- ヨガではこんな図式があるらしい。
- 【真我】がハートに位置する。
- その周りに、【チッタ】という心を統御する層がある。まるで、地球に重力によって空気が引き寄せられるように、層がある。
- そのさらに外側に、【アハンカーラ】というそう念を統御する層がある。ここが問題を起こす。
- 想念、思い、気持ち、感情。そこが澱む、エゴ。アハンカーラが澱むと、真我の純粋な光が放射されるのを遮る。
この世界でのあり方、生き方を選択する時期が来ます。
真我を選択する時期が来る。
- アハンカーラ、これが、感情的領域。バイオエナジェティックでいうところの、【液体的なカラダ】。
- この領域の淀みが病の多くを引き起こす。
- アハンカーラ、液体的なカラダが透明で健全であることが、健康であることの目安。
- 液体的なカラダを汚すもの、想念。感情。気持ち、好き、嫌い。
- 感情を通り抜け、真我に到達することが必要。感情を選択するのか、真我を選択するのか。
- エゴや思いを選択するのか、それらを捨てたところにある真実を選択するのか。ある時期に選択の時期が来ます。どちらを選ぶのか?
変容のプロセスでは、過去の傷を手放し、、こころは透明になっていきます。
しかし、一方、そのときに、感情的な依存を手放さない人もいます。どちらを選択するのか?
- 我々の本質は、真我。
- 生まれ、生きていくうちに、、徐々に、受けた傷、、により肉体やアハンカーラの領域に、歪みを作っていく。
- あるいは、文化的な影響、あるいは、家系から受け継いできた影響。
- それらは、”わたし”の本当の姿=真我ではない。
- わたしをカタチ作ってきたもの。それは、傷、、歪み。私と思っているもの。アイデンティティー。それは、後から付け加えられたもの。エゴ。
- エゴは傷を手放さない。怖い。私と思っているもの(=傷、アイデンティティー)を失うのが怖い。
- 手放し、真我に近づく?
- それとも、また引き寄せ、エゴ、アイデンティティーに戻る?失ったものの代わりに、誰か他人に執着する?
- それとも、自分の本質、真我に帰る?
- あなた次第。
アハンカーラ、感情の領域を、他者に投影することがあります。
怒りや恨みを、過去の解消と共に、手放す。それができないとき、今の目の前に人に投影することがあります。
怒りや恨みや寂しさ、逆に、好きなどの執着。など、感情の対象を、目の前の人に投影することがあります。
※セラピストは投影されがちなので、投影や執着が強すぎる場合にはそれ以上の施術をお断りしたり制限したりする場合があります。時間を取り冷静を取り戻すように。
- 感情から離れ、ハートの中にある真我にシンクロする。
- そのサインは、”静けさ”。
- 頭の中にいかない。感情を分析しない。巻き込まれます。引き寄せる力がとても強い。太刀打ちできません。
- ハートの静けさ、真我へ。分け御霊へ。
- 感情には対抗できません。どうやって、静けさに入っていくのか?
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ハートというと感情と誤解しがちですがそこに感情があるものは間違いです。注意しましょう。想いはありません。ハートチャクラの位置、ただそこには静けさがあります。
- その静けさをみつけ、感覚すること。知覚する。
- 静けさ、エゴの外側にある世界に入るためには、意図は使えません。やろうとするとできない。
- どうするか?静けさを見つけ、ただ、気づいていることです。静けさを知覚し、待っている。
- すると、気がついたら、その世界に入っている。
- 静けさを見つけるのが困難な時は?
- 自然界、それは、感情の世界より密度が薄く、静か。自然界にシンクロする。
- 神社。神社は、こころの構成のように作られているらしい。自然界よりさらに静かな、、真我に到達する。お参りする。
- 禊、祓え。本殿に至る道を歩くごとに余分なものが祓われ清められていく。
- お願いをするのではなく、(お願い事は、意図、になってしまう。)ただ、その御霊、その真我のありかに意識を合わせ、手をあわせる。
- 何かを治そうとかせず、何かを付け加えられるのではなく。パワーを吸い取るのではなく、、。我々には完全なものが、真我があらかじめ備わっている。
- 神社で手をあわせると、その静かな精妙な流れ、本質の完全性に、、無意識の領域で気がつき、、間違えていたもの、混乱していたものが、正しい流れに修正される。
- 何かを変えようとかせず、修正される。
- 分け御霊、真我。自分の本当の姿に帰ってくる。