たとえば、自然界の法則
バイオエナジェティックの世界は、自然界の法則、自然界の秩序を司るモノに沿う施術です。自然界の法則に従うと、治癒が起こる。たとえば、川と大地の再生の話に似ている。
人間のこと、自然のこと。
人間の意図が自然界を破壊するが、
自然界を真摯に観察し、”自然界の秩序”に沿えば、、『何も乱すことなく』回復する。
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それは、どの世界にも突き詰めていけば共通しているようで。たとえば、大地の再生の矢野智徳さん。(『杜人』てドキュメンタリー映画がある。)
自然界を観察すると、直線はない。蛇行曲線をとる。川の流れ。
一方、人間は、やりたいことをやる。コンクリートで固めて、直線に。
U字溝、、。すると、地下への浸透はなくなるし、流れはとまり淀む。ドブ臭くなるし、ドヨンとした空気になって、実際に空気まで停滞する。
しかし、自然界を観察し、そのの秩序に沿うように。→ U字溝の中に、蛇行曲線をつくる!
すると、停滞していた流れは、流れ出し。
波紋ができる。
やがて水は透明に、空気も通り抜け始める。
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写真は、上野原の講座が行われる建物の脇にあるU字溝。
(講座では、もっとでっかい淀んだ臭うドブを20人くらいで、蛇行曲線つくって、、という作業しました。2時間くらいで清流に代わっちゃいました。)
蛇行曲線を描くように、石や土を配置し、自然界に倣って『しがらみ構造』を作って安定させる。
(土だけだと流れていっちゃうので、木や石などなどをしがらませるように配置する。(←自然界はそうなっている。))
すると、流れが生まれ、、あとは、その流れが、”治療”する。
やがて苔が生え、魚や生き物がやってきて、その流れが加速していく。
それは、人間の力を遥かに凌ぐ自然界の力、、すべて、人間がやらなくて良い。あとは、自然界が、つづけていく。
人間は、やりすぎないこと。
(たとえば、ある講座では、藪を切って風が通り抜けるように、空気の流れを確保する、という作業のときのこと、、がんばって、結構必死に藪を切り開き通り道を作ろうとしてたら、、矢野さん曰く、”人間が全部やらない。あとは、風が続きをやってっくれる。”自然界は圧倒的な力。)
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蛇行曲線により、流れが清流に代わった。変化は連鎖し続いていく。。やがて、コンクリートは割れて地下への浸透がはじまるのだという。そして、周りの建物の湿気なども改善していく、、。変化は波及していく。
友達の知り合いの家、傾いたんだけど、床下に竪穴を掘るなどの大地の再生の手法で環境改善したら、傾きが直ったんだって。←友達の友達だから、たぶん、本当の話。
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自然界を真摯に観察し、それに従うのはバイオダイナミクスや、バイオエナジェティックも一緒。
何も乱すことがない、から、気が付かない。大袈裟なわかりやすい変化は、その時は良くても、、矛盾が出てくる。だから、それはしない。
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人間の体も一緒。流れが止まっているところが流れ出す。あとは、体の秩序、生命の力が続きをやっていく。人間の意図など到底及ばない。自然界の圧倒的な力。それは、何も乱すことなく、継続し続いていく。。
人間のやりたいこと(意図)をするのではなく、自然界に従うこと。
↑バイオエナジェティック・オステオパシーの説明、たとえばこんな感じかしら。
U字溝の症状(表出した問題)
人間の意図、思考は使えない。では、どうする?正しい意図の使い方があるのか?
自然界に従う(人間のエゴを捨てる)
"流れ"が治療する
バイオエナジェティックの基本は、”流れが治療する”ということ。
人間の介入は矛盾と混乱を生むので、人間は意図を入れない、邪魔しない。いらんことしない、足跡を残さない。
キッカケを与えるんですか?とたまに聞かれますが、そうではない。キッカケの与え方があるとしたら、それも自然界に従う。何処に触れるか、それも自然界に従う。どこに触れようと思うか、というキッカケもこちらから与えるのではなく、自然界から与えられる、あるいは、指示される、見せられる、読み取る。全て自然界の指示に従う。
自然界の秩序に従うと、流れが生まれ、その流れが治療する。健全の連鎖が始まる。
矛盾が起こらない。
施術者は人間の理屈や頭の理解、やりたいことや要求、クライアントの要求、きもちや、自分の要求や気持ちから離れ、捨てる必要がある。
感情や理屈のその先にある自然界の秩序が見えるところまで降りていく。