ひとこと

施術者からみなさんへひとこと。

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一般的に知らない、やり方がちがう、みてるものや方向性が違うことが、ボディワーカー目線ではあります。少しご紹介しておきましょう。


対象外:ここでは精神疾患などで通院されている方は対象外です。

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健康だけどトラウマによる制限を外せさえしたら!など、しかし、アプローチ違いでぐるぐるしてたり、改善しない方向けに、別のアプローチがあることをさらっと解説してみようというコーナーです。

 


  • トラウマを外す?

ロルフィングにご興味を持たれる方の多くは、”トラウマ”についても興味を持っていらっしゃる方が多いかと思います。

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トラウマ、というときに多くのアプローチや興味の対象、テーマとしていることはちょっとずれてるんじゃないかな、と思うことが、自身の回復の体験や学びなどを通して感じていることがあります。

 

  • トラウマとは、出来事の積み重ねではない。

過去の出来事、制限、、トラウマ、、それさえ外せたなら、、というのはアプローチ違い。たぶん、そういうふうに人間はできていない。

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たとえば、人の体は、、カルシウムと亜鉛と塩と鉄でできている。→カルシウムと亜鉛と塩と鉄を混ぜたら、、人間の出来上がり!とはならないでしょう?ただ物質の寄せ集めが人としての存在のあり方を(それも重要だが)決めているのではない→何が人を健康的で美しく機能させているのか?それが、失われているのなら何が足りなくて、どうなれば回復するのかしら?生命を機能させている仕組みが何か働いているはず。→それは何か?後ほど。

同じように、トラウマの出来事の集まりが、人を形作っているのでもないし、その総和がトラウマの制限の総和というわけでもない。→トラウマがあるとは何か?→トラウマの出来事を外せば、自由になれるのか?→鉄と塩と亜鉛を混ぜても人間にはならないように、トラウマを消そうとしても、自由になれない。

 

  • すべては複雑に絡み合い、お互いに支え合っている。

部分や出来事の寄せ集めが人の存在ではないので、部分をいくらいじっても(正しい道筋を知らなければ)全体としての結果は予測できない。混沌とするだけ。

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ここで、トラウマを取り外そうというアプローチが違うんじゃないか、ということとロルフィングの全体性の考え方が似ているのでご紹介。

ロルフィングのロゴはブロックを積み重ねた構造ですが、実は違う。テンセグリティーモデルと言って、人体は糸と棒が張力で支えられた構造とみています。この2タイプの構造の違いは、ブロック構造はその部分だけみてれば直せる(下の構造が上の構造を支えているだけなので、たとえば足先のずれと手先のズレは関係がないと見る)という考え方を反映してますが、テンセグリティモデルでは全体が複雑に絡み合い(足先の歪みは、瞬時に手先の歪みと関連しあって全体を保っている)支え合っている。

体の構造と同じように、トラウマについても言えそうです。部分をいくらいじっても、解放しようとしても、、進歩しない。却って混沌としている。もしかして出来事や部分をいくら頑張って苦闘しても、全体として貫く何かが忘れられているのなら、、やり方が違うんじゃあないかな?

 


  • ボディワーカーとして見た”トラウマ”とは?

トラウマって何?一般的な視点や心理的な視点とは違う、ボディワーカーとして見たときの”トラウマ”とは?そして、その問題とは??

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ボディワーカー、体から見た目線。そこでは、心のキズとか、制限、縛りめ、外側から仕掛けられた罠、みたいなものとは考えてません。単に、体に残った衝撃、未解放の衝撃のエネルギーが、身体の組織に閉じ込められている。閉じ込められていること自体に問題があるのではなく、それによって、歪みとしてそこに配置された体の状態が、”本来の”正常な動き、機能ができないでいること。ただそれだけのこと。ここに心の問題や誰かのせい、(それは二次的に追加されたり、刷り込まれたりしたもの。)などということは入ってきません。

 

  • 本来の正常な機能ができない、身体。

トラウマのエネルギー、、トラウマとは心の傷や問題という人間の認識に後付けされる前は、単に衝撃のエネルギーです。感情的であれ、物理的であれ、衝撃のエネルギーは体に残ることがあります。それが、本来の体の機能を邪魔しているとき、、問題や制限となります。

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たとえば、自由に何の制限もなく、、スムーズに呼吸できている。。なんのストレスもなく、自由です。気持ちもきっと自由でしょう?そこに外側からのエネルギーが入ってきた時、たとえば、急にびっくりした!とか、石がぶつかった!とか、その衝撃のエネルギーが受けた後解消されればいいけれど、許容範囲を超えていたりした時に、体にびっくり!などの衝撃が残ったままになります。それが、歪みとしてそこに固定されると、、たとえば呼吸は妨げられ、、本来のスムーズな動きを損ねます。そのとき、、自由な気持ちは、、制限を設けるでしょう。

 

  • トラウマの解消の矛先

ですので、一般的に皆さんが興味持っているようにトラウマの出来事をなんとかしようというのはちょっと見当違いかもしれない。少なくとも体目線では検討違い。

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トラウマの出来事や心の問題、思考や感情の対象を突き詰めていってもしょうがない、むしろ、エネルギーを追加していき(本当は外部からのエネルギーを抜きたいのに、さらに感情のエネルギーを追加して逆方向。)悪化していく。

 

  • 対象は、体の本来の機能を取り戻すこと。

自由な呼吸を取り戻す。背骨の制限を解消する、脚のサポート、大地からのサポートと委ねることを知る。。

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トラウマの一つ一つを解消しようとしても無数にあって終わらないんだけど、体の全体としての安定と機能が回復するような方向性を持っていると、、その回復の道筋のうちに細かいチリのようなトラウマの制限も流され解消していく。

欲しいのは一個一個の解消ではなくて、全体としての力強さと、生命力の回復です。

 

  • ボディワーカー目線では、ずれたり制限のある体が本来の自然な姿に近づいていくこと。

自然に、いつの間にか楽になっている。中心軸がずれたり曲がっていたり、あるいは、呼吸に制限があったり、頭蓋に歪みがあったり、、体には過去の衝撃の積み重ねもあります。それらが解消され、中心軸に集まり、そこで呼吸するようになる時。何が起こるでしょうか?

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われわれボディワーカーはトラウマをなんとなしよう、というトラウマ対象のアプローチはしません。トラウマ見ててもしょうがない。体が整うこと。