わたしの体験

わたしは、いろんな世界を渡り歩いてきました。そして、辿り着いたところ。そしてその先へ。

ロルフィングに辿り着くまでの、わたしのワークの根本にあるバイオエナジェティック・オステオパシーの世界と並行して、書いてみましょう。

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小さな一冊の本のようなページ。文字多めのページなので、文字苦手な方は飛ばしてくださいませ。読みにくいかな〜、でも、内容はおもろいですよ😙


 

  • わたしの体験談

わたしはかなりたくさんの世界を渡り歩き、ロルフィングを学び、さらに、体からのアプローチであるトラウマワーク(SE)などを知り、そして、ついにバイオエナジェティック・オステオパシーに辿り着きました。その全体から見た、世にあるセラピーやワークについて知っていることがあります。

 

  • はじまり

はじまりは、20歳前後の二年間、一人暮らしで完全な引きこもり、という暗黒時代からスタート。ここから、探求が始まりました。動けない、冷たい布団にただただ寝ている、何かすることもできない、本読むとかもない、ただ、寝ている。だけの二年間。話することも、外に出ることもない。大学生。のちに、神経系のトラウマワークを学び、神経系のフリーズ状態だったと知る。こころが、というのではなく、カラダがそうだったのだ。

 

  • 出発

大学休学、中退。2年ほどアルバイトと社員。プログラマー。退社。海外へ行こうと思っていた。初めての海外。こわい、1年ほど失業保険もらいながら、、もう出なければ!20世紀が終わってしまう、、と、出発前の1週間で準備して、海外へ。まだSNSもない時代。辛うじてwebメールがあるくらい。情報はない。2000年の12月26日。神戸からフェリーで上海へ。南アフリカまで3年間の旅になる。海外は日本と違う、空気が違う。ねっとりとした視線、誰もが監視している。そんな日本とは違う、自由な空気、流れ。そして、ただ人間の世界があるのではなく、その背景に、何かスピリットがある。特に、チベット、インドでは出会いがあった。

 

  • 帰国、様々なセラピー

3年のバックパッカーから帰国、元気になっていた。(しかし、それは、本来の自由な姿ではなく、いつも通りの、鉄壁の防御、安まることのない緊張の元、自分を守り、外界に対していく。そんな元気さ。)そこから様々なワークやセラピーを受けるようになる。とくに、トラウマの解放!というのに興味があったので、そういう類のワークも受けた。(ロルフィングも最初はトラウマ解放のワークとして紹介されている本から知った。)

 

  • マッサージセラピストとして働く

帰国後は、2004年くらい都内のクイックマッサージ店で働き、硬いところをギューっと押してほぐす、という未経験からの募集。親指とか、肘とか使って、ギューっとつぶす。朝の9時〜夜10時までご飯も食べずに働く、けど、11万円交通費なし、みたいな。ブラック企業やね。。😑いくら強圧で解しても、すぐに戻るし、そもそもそう簡単に解れるものでもない。なんやろ?体の理論のようなものがあれば、知りたい。解れるように、そして、治るように。

 

  • ロルフィングとの出会い

2006年、二度目の海外旅行、アメリカへ。サンフランシスコのアルカトラズ島〜ワシントンD.C.まで歩くというネイティブアメリカンのウォークがあるという。その過程で、ロルフィングに出会う。参加者の1人がロルフィングに関する記事を持っていた。これだ!と。体は柔軟になり、元には戻らない。カラダが変わっていくような理論がちゃんとある。

 

  • トラウマ解放セラピーの危険性

その頃、感情解放ワークを謳うセラピーも受けたりしていた。大声で叫んだり、ひたすらものを殴り続けたり、、。で、意識がかわる、解放された!絶対感、完全な感じ。最高。集団で受けていて、仲間意識。(これは、あぶない。のちに神経系のトラウマワークを学び、乖離状態だと知る。バラバラ、分解され、まとまりがない、崩壊している。)1〜2日ほどで徐々に不安感が。3日目には元に戻っている。数年後、動けなくなっている。みんなその場では良いように感じるから、友達や知り合いを紹介して集まってくる、が、崩壊し、どんどんしんどくなっていく。そんなふうにできています。誰も気がついていないけれど、トラウマ解放ワークはとても注意が必要です。(一気に解放すると、反動が来る。解放は、少しずつ少しずつ。1滴ずつ、行う。というのが、神経系から見たトラウマワーク。ソマティックエクスペリエンス(略してSE)。わたしが受け始めたのは2011年の初めだったのですが、現在では心理の世界では早くて安全ということでとても広まっています。2011年初めは日本にはセラピストは2人、現在は数百人いらっしゃるようです。)解放ワークは危険。動けなくなっていく。2013年くらいのころ、わたしが感じていたことは、、派遣で働いていた。誰とも話さないでいいような、携帯のテストの仕事。でも、まわりのプログラマーさんやテスターさんたちは、休憩時間テーブルに輪になって談笑している。『すごい!』と、わたしには信じられない、すごい能力だ。とても、話せない。目が痛くなる、首がしまる、、動けない、、しんどい、エネルギーの枯渇。仕事以外では、部屋でうずくまっている。痛い。動けない。テスターとして外に出て地図ソフトの検証のため歩いている。曇り空、表参道。1年後、生きていられるだろう、2年後は無理だな。という、世界。出かけるのが無理、何か1日に一つのことをするのが難しい。買い物、、苦しくて途中で引き返してしまう。そんな、生き方。

 

  • ロルフィングのトレーニングに参加する

時はちょっと遡り2007年、ロルフィングのベーシック10シリーズを受ける。そのときは、服を脱ぎ下着になる。そして、強圧の持続圧で(拳とか、肘とかで)ギューっと押しながら肌を滑らせ筋膜を伸ばす、という手法。痛い!めちゃ痛い!めちゃめちゃめちゃイタイ!!!受け終わってもあんまりピンと来なかったけど、ロルフィングの理論自体には興味あったしこれだと思っていたのでトレーニングを受けたいと思っていた。日本では学校はなく、アメリカに本部があり、ブラジルやヨーロッパにも支部がある。日本には過去にトレーニングが開催されたらしく、次回が行われないかな、、。と、2008年、京都でトレーニングが開催されるとの広報が発表された。トレーニングはUNIT1,UNIT2,UNIT3の三部構成で、1〜2ヶ月のコースが数ヶ月おきに開催され1年半でロルファーと認定される。申し込み参加を確保できた。が、キャンセルしアメリカへ向かう。日本で認定され1年半後、「はい、あなたはロルファーです。」といわれたところで何者でもない自分に施術をやっていけるだろうか?いや、無理だろ。アメリカ?ありえない。むりむり、でも、アメリカに行って難しいプロセスを終えたら、何者かになっているんではないだろうか?アメリカに行こう。2008年UNIT1、アメリカ、ボルダー。英語ができーん。旅行英語で行けるかと思ったらぜんぜんわからん。やめよかな。。2009年UNIT2、アメリカ、ボルダー。2010年UNIT3、ブラジル、バハドサヒ。

 

  • ロルフィング、不合格!

2010年12月の最終トレーニングのブラジルで、不合格。というか、条件付きの合格。条件とはベーシック10シリーズを2人のモデルに施術しレポートを書くこと。だけ。不合格の理由は、トラウマを多く抱え、人とコミュニケーションがとれないこと。それでは、クライアントをとれないよ、と。帰国し、まずは『ソマティックエクスペリエンス』というトラウマワークを受けること。そして、ベーシック10シリーズのモデルクライアントを2人施術してレポートを書くことが課せられました。 この時から、認定まで3年半かかりました。ロルファーになろうと思ってから、6年半。。ながっ。

 

  • ソマティックエクスペリエンス(SE)を受ける

ロルフィングの最終トレーニングUNIT3はブラジルに行きました。そこでは、ロルフィングという身体構造に関する資格だけではなく、ロルフムーブメントという動きに関する資格も同時期に取れたからです。でも、ブラジルも未知の世界、ありえない選択でしたが。いってきました。その最終トレーニングでは、講師はペドロ。心理士でもあり、ロルフィング業界の中では心理の大家です。そして、のちに知るのですがソマティックエクスペリエンスのトレーナーでもありました。(現在、日本の沖縄でトレーニング講師をしているらしい。)そのトレーナーから見たわたしは、トラウマを多く抱え、乖離ぎみ。ひととコミュニケーションをとるのが難しい。それを解消する必要があり、帰国してSE(ソマティックエクスペリエンス)を受けることを勧められました。

 

  • ソマティックエクスペリエンス(SE)とロルフィング

こうして2011年の1月からたしかセラピーを受け始め、動けない、、という日々を過ごし派遣で働きながら、、2年半ほどセッションを受けていました。やがて、外の世界に出たい、と思うようになり、ロルフィングのワークショップに参加するようになります。正直、SEの効果はよくわからなかったですが、外に出ようと思えるようになったということは、その効果だったのでしょう。SEは心理の業界では、早くて安全とされ、とても盛んになってきているようです。トークセラピーで改善を試みるより、体からのアプローチの方が早くて安全ということのようです。ロルフィングとソマティックエクスペリエンス(SE)との関係は、結構深いです。といいますのも、SEの創始者がもともとロルファー(ロルフィングの施術者)だったから。そのおかげでわたしも神経系からのアプローチからセラピーを受けることができたのですね。

 

  • ソマティックエクスペリエンスとは

神経系のアプローチからトラウマを解放します。しかし、解放と言っても世にある解放セラピーとは全く違います。むしろ、真逆のアプローチ。SEの世界観では、解放は一気にやると逆効果、再トラウマ化します!解放は少しずつ、少しずつ、ほんの1滴ずつされます。注意深く、、圧倒されないように。(大声を出す、ものを殴り続ける、目を見つめあいさせ続ける、、などこれらは、神経系の活性化を高め、さらなるトラウマ化を引き起こします。世にある解放ワークの常套手段ですが。。解放感が出るのは、神経系が負荷に耐えられずバーンアウトするのです。安全圏を越え、乖離する。)そして、ロルフィングと同じく、SEも解放自体が目的ではありません。解放は必要ですが、統合されること。つまり、日常を滅茶苦茶な神経系のパターンでトラウマ化され、苦しかったり活動できなかたりする状態から、柔軟に安全に自由に活動でき本来の姿を取り戻すこと。活性化して異常な神経系のパターンから、柔軟で自由で平和な健全な神経系に「シフト」することです。解放はそのプロセスで必要になるに過ぎません。

 

 

  • 別のすばらしいものになるのではなく、本来の姿に帰っていく。

トラウマを解放したり、セラピーにより生きやすくなっていく、、。あるいは、ロルフィングやバイオエナジェティック・オステオパシーで生きやすくなっていく、本来の自由な姿に立ち返っていく、、というのは、別の何者かになるのではない。

素晴らしいひとになったり、別の何かで上書きしたり、変えたりしても、それは、隠れた歪み、トラウマのエネルギーを、別の”良いもの”で覆っていく、すると、潜在的な異物のエネルギーはそのままに、そこに保持され続け、別の何かとしていつかどこかで表出してくる。体に入り込んだ、外部からのエネルギーを、外に帰し、、本来の自分の生命力で内側の中心から満ちていく、、そのとき、解放は解放で終わらず、自分自身でひとまとまりの”統合”状態になります。(異物のエネルギーを体から解放すると、抜け出て行った後には穴が残ります。その状態は、満ちていない、、不安定なので元に戻るしかない。統合されると、内側から満ちてくるので穴がなく、生まれた時から自らに与えられた生命力で満ちている。安定しています。)”健全”=本来の姿、になっていく。

 

  • 自然界の秩序に完全に沿い従う。人間の意図を持ち込まない。

自分の思い描く何か良いものになっていく、変えていく、良い理想の姿になるんだ!、、 ということは、ある意味できません。

先に言いました通り、”素晴らしい人”になったり別の何かで上書きしたりしても、その覆いの下には何も解消していない、未解放のエネルギーが渦巻き潜在的な力の影響を与え続けている。これがあるから、ずーっとしんどい。良いと思うもの、理想の姿に、マインドを変えて、あるいは、体を変えてなっても、ずーっと背負い続けていく。この方向性、つまり、”人間の意図”を使うやり方は、必ず矛盾が出てきます。施術者の意図、人の意図、すべて、調和を乱す。いいと思ってやったはずのことが、その場は良くても、、気が付かれなくても、、いつか問題として表出してきます。その頃には、何が原因でそうなっているのか、わからず、またその対処、”いいこと”をします。混沌が増していく。では、どうやったら、矛盾なく、完全な施術、完全なセラピーができるのでしょうか?それは、自然界にヒントが隠されている。われわれは、生きている。自然界のものです。マインドや人間のルールや理屈や思いは、自然界の上に成り立っている。人間の考え(人間の世界)は、体の現実(自然界)とは別のルール別の都合で動いている。自然界、、このからだを動かす自然界の法則がなければ、われわれは生きては行かれない。体は自然界のもの。人間の思いや意図や都合のいいようには、まったくいきません。人間の都合を自然界に持ち込む時、矛盾と混沌が始まります。実際の自然界をみてみると、人間のやらかした悲惨なこと、もう混沌として手がつけられないほどのこと、起きてますよね。なぜそうなったか?人間の理屈を持ち込んだから、人間の思いを持ち込んだから。しなければならないことは、自然界を真摯に観察し、その背景にある自然界の法則、自然界の秩序に完全に沿い従うことです。すると、矛盾が一切起こらない。人間の意図、思い、を捨てる。理論は、自然界の法則に完全に従ったとき、その秩序を一切乱さない時にやっと使えるのです。肩が痛いから肩を治す、という人間の理解では、解消しないのです。その原因をみつけなければ。それは、自然界の法則、秩序を観察したときに、見つかります。

 

  • ロルフィングにバイオエナジェティック・オステオパシーの手法を使っている理由

私の知る限りにおいて、完全に自然界の法則に従い、人間の理屈ややりたいこと(意図)を捨て、自然界の秩序のままに一切何も乱さずに施術できるワークは、オステオパシーのバイオダイナミクスと、バイオエナジェティック・オステオパシーしかありません。

ロルフィングも、理論理屈があって施術をしますので、ある意味では意図的です。その意図的な施術を人間の体、自然界のものに当てはめてしまうと、いづれは矛盾が表出してくるでしょう。わたしがロルフィングをバイオエナジェティック・オステオパシーの手法で施術している理由は、矛盾のない、自然界の秩序、体のリアルに完全に沿った施術をするためです。

 

  • 意図を持ち込まない、完全に自然界の秩序の流れを乱さないこと。

バイオエナジェティック・オステオパシーが自然界の秩序を乱さない、ということは、つまり、体にすでに起こっている治癒の流れを乱さず、その流れのままに、施術することができるということです。

たとえば、骨を折った。というとき、既に体の中では、骨がくっつくという方向の治癒がすでに始まっています。何か衝撃を受けた瞬間には、体は治癒の働きをもう始めています。その治癒の流れを、人間が介入して手を突っ込んで治そうとするとき、邪魔。体のシステムは、その邪魔を排除したり抵抗したりする必要が出てきます。別の外力を加えてしまって、治癒を遅らせたり曲がったままになったりするかもしれません。バイオエナジェティック・オステオパシーは、既に起こっている治癒、骨がくっつこうとしているその流れ、無数のプロセスが起こっていることを(滋養を与え、毒素を排出し、、流れのままに新しい骨を形作っている)その自己治癒の方向を一切見出すことなく、その治癒に沿った施術をすることができます。そんなワーク、他にあります?

 

  • 施術者の見ている世界、バイオエナジェティック・オステオパシー

体に起こっている治癒のプロセスを一切邪魔しない施術、バイオエナジェティックの施術では、施術者は次に何をしたらいいのか、解消に必要な条件は何なのかがわかっています。

ここにこの方向で外力が入ってきていて、歪みを生んでいる、、それをこの方向にバランスして、自己治癒力により外力が出ていき、元のリズムを取り戻し、、やがて呼吸が通り抜けていくように、混沌から透明に質感が変化していく。そして、やがて、今回の施術でやるべきこと、見せられた治癒の対象が、全て終わるとき、、全ては均質に、一定に、、なります。透明に。静かに呼吸している。そのように、イメージではなく理論を当てはめるのでもなく、具体的な身体感覚で知覚して施術しています。

 

  • ロルフィング、とは何か?その意義は?

完全な治癒に沿った矛盾のない治療をすることのできる施術がある、、それならば、バイオエナジェティック・オステオパシーの施術だけでいいじゃないか?と、思うかもしれません。ロルフィングの意義とはなんでしょうか?

この人間界のリアル、人間の都合、理屈、や社会、、権力、有限のエネルギーを奪い合う取引の世界、この世界で生き延びるには、大変。エゴが強いほど、相手を傷つけるものほど全てを手に入れる。そういうふうに回っている社会がある。そうやって、競争して生きてきたし、みんなそれがないと不幸になると思っている。でも、一方で、別の流れで動いている世界もある。エゴ、を離れ、、本来の生命の世界に入っていく。静かな休息、、リズム、呼吸。自然界と調和した世界。この体はそこに属しているのに。エゴの苦しみの世界から、やがて、次の段階の世界にシフトしてくる時が来るでしょう。個人の変化のプロセスとして、そのように、体の変化のプロセスは起きてくるようです。ロルフィングの10シリーズの感想文をみていただくと、個人の感じる世界がシフトしてきているものもあることに気がつくかと思います。体にためてきた、歪みや傷が解消され、本来の生命力に満たされていく(赤ちゃんが光っているみたいに!)とき、、自然と変化にその方向性がでてきます。とくに、単発のセッションではなく、ロルフィングのベーシック10シリーズではその流れがうまれる。それは、みなさまのプロセスを見てきても、そのようになっています。もちろん、10回ではまだ次のシフトにまで至らない、まだ数回の施術が必要だと感じる方もいらっしゃいますが、それは個人差があります。(ベーシック10シリーズのあとも、継続して施術を受けに来られる方も1割ほどいらっしゃいますが、その方全員にどんどん自然体になっていく、楽になっていく、という変化を感じています。)しかし、方向性としては、自由になっていく、そのようになっていると感じます。そのための、最高の手段としてロルフィングの10シリーズは意味があると思っています。

 

  • 治っちゃう。自己治癒の力。

バイオエナジェティック・オステオパシーで施術してると、、自分(施術者自身)のためには施術できなくなってきます。

そもそも、エゴを捨てたところ、自然界の秩序の法則に完全に従うということは、人間の理屈や想いを持ち込めない施術です。その施術は、自分のためには使えず、みなのため。特定の誰かのためでもなく、全ての人のため、にしか使えません。その人を通して、すべてのひとのために。この変化が、この光がどこまで伝わっていくのか、、。その人自身が治っていくことももちろん嬉しいけれど、その光がどこまで広がっていくのか?の方に興味がある、と、私の先生はおっしゃっていました。この方向でやっていく時、自分のため、儲けのため、にはできなくなってきます。これは、手法として機能しなくなってくるし(体のことをやっていると、誰でもいつかは気がつくように、とっても繊細な領域で施術をしていると、よりエネルギー的な世界観になってきます。その施術に向かう姿勢自体が、施術に影響を与えます。体験的に、だれでもやればわかることでしょう。)、その施術に向かう姿勢自体が、もう施術と一致してくるため、儲けのためには使えない。そして、こんな変化は起こらない、と言うことまで起きてくる、治っちゃう。お客さん去っていく〜。ということになります。そう言う意味でも、施術を維持していくためのロルフィングは看板なんです。ロルフィングなしでは、バイオエナジェティック・オステオパシーの施術も成り立たない、というほどロルフィングのおかげでなんとか活動できてます。学びは続く、、9年たった。。お金!いるよねえ。。人間社会、むずかしいわ。

 

  • ロルフィング認定への道、つづき。

話がずいぶん飛びましたが、ロルファーとして認定され損ね、条件付き合格となって、SEを受け始めて2年半後、外の世界にで始めました。

その時は、派遣で働いている以外の、世界のリアルはセラピールームのみ。SEのセッションのみでしたが、その世界は虚構の世界、仮の世界。人との関係性も、すべて、その場の設定の中で存在しているに過ぎません。こんなニセモノの世界から外に出たい!と思うようになったのです。(外に出ようと思えるほど、回復したのでしょうか。)そして、ロルフィングの中でも、軽く触れるだけの施術をロルフィング協会のワークショップで学び始めようとしました。ロルフィングの学校で、ロルファーとしての認定トレーニングでは強圧の持続圧を習います。服を脱ぎ、下着だけになる必要があり、素肌を拳や肘で強圧の持続圧をかけスライドさせ筋膜を伸ばす。めちゃめちゃいたい!!!ですので、ロルファーさんの多くは強圧の持続圧を使います。が、ロルフィングの施術でも、軽く触れるだけの施術を学べる、と知りました。それが、当時のイールドワーク。

 

  • イールドワークで10シリーズを施術する。

私のキャリアのはじめは、イールドワークを使った施術でした。

しかし、ロルフィングのトレーニングは全て受け終わったけれど、まだ課題ができていないので未認定の時期。ワークショップへ参加は許されませんでした。(今では外部の方でも受けられるようになってる〜。私はトレーニング行ったのに受ける機会ももらえなかったですが。時代ですか。。)待て待て待て、、と1年以上待ってから参加が許され、三部構成の10シリーズの理解のコースを2年ほどで2周しました。そして、ロルフィングとして施術ができるようになってきました。(強圧の持続圧による施術は、違和感しかありませんでした。)ぎゅーっと人を変形させるのも嫌だったし、なにをしていてもしっくりこない。つながりがなく、機会的に押すだけ。三年間の開会からの帰国後に働いていたリラクゼーションサロンでも、強圧でぎゅーぎゅー押してたけどそう簡単に人の体は変わるものではない、と知っていたし。筋膜リリースの1ストローク程度で解れるはずもない、との認識もあったので、強圧の持続圧で施術はできないと思っていました。ですので、キャリアの初めの時代にイールドワークを学べたことは、助かりました。

 

  • 再びの10シリーズの施術を二度受ける。体も心も格段に健康になっていく。SEより全然いいやん。

イールドワークを学ぶ過程で、ロルフィングの10シリーズを(かつては強圧の持続圧で二度受けていましたが。一度目は普通の施術、二度目はロルフィングトレーニングコースのunit2で。)イールドワークの施術で交換セッションしながら、ワークショップで学びました。それを2年ほどで2周。体が、格段に変わっていきました。精神もどんどん安定していきました。体からのアプローチ、変に介入することのないワーク、こういうのもあるのだ。軽く触れるだけの、介入の少ない、、10シリーズで体は、心と連動しながら調和していった。SEの比ではなく、変わっていった。

 

  • イールドワークとクラニオセイクラル

イールドワークは、服を着たまま受けられ、軽く触れるだけの施術です。相手との間合いにより、体が自然と反応し、変わっていく。介入の少ない、時折そっと触れ、すぐに離れ、相手との間合いをとります。その間合い、スペースを体はどこかで感じ取っていて、自然と変化していく、というようなワークでした。間合いと距離感、、。その頃、同時にクラニオセイクラル・バイオダイナミクスのトレーニングコースにも参加するようになりました。ロルフィング協会のにも参加したし、OSHO系のにも参加しました。きっかけは、ロルフィングのトレーニングUNIT2の講師がでもでクラニオセイクラルの施術をしていたのを見て、不思議、静か。。と興味を持っていたのです。しかし、どこにいっても学びはある段階から深まらない。触れる場所や手のポジションは変わるけれど、何も深まらない。(のちに知ったのは、クラニオセイクラルのバイオダイナミクスはオステオパシーのバイオダイナミクスの9年の学びのうち、3年ほどでやめた方が広めてしまったもの。本質が出てくるのが7年目だから、まだ真実の世界が出てきていない。)どこかに本当のクラニオセイクラルを教えてくれるところはないかしら?歩探し回りました。そして、あるとき人づてに、バイオダイナミクスを教えている個人の方がいらっしゃいました。そこに学びにいった時、これだ!とついにみつけた。オステオパシーのバイオダイナミクス。(ただし、オステオパシーのバイオダイナミクスを教えられる人は、世界に十数人ほど、そのひとは本当は教えたらダメだったので、講座はなくなりました。。)その方にご紹介いただいて、オステオパシーのバイオダイナミクスの学び、9年のカリキュラムに入りました。これこそ、本当の世界、世界の真実。美しく、静かで、、。圧倒的な、、畏怖の念。。

 

  • イールドワークは終わり、オステオパシーのバイオダイナミクスへ。

当時、ロルフィングのベーシック10シリーズの施術は、強圧の持続圧ではなくイールドワークを使っていましたが、オステオパシーのバイオダイナミクスを学び始め、イールドワークは終了、バイオダイナミクスでの施術に切り替わりました。圧倒的な世界観、真実の世界。そこは、全く次元の違う世界が広がっていました。イールドワークなどの比にもならない、、。(イールドワークのおかげでやってこられましたが、それほどの世界が広がっていました。)9年、学びへの、施術への没入が始まります。これ以上のものは、この先、生きていてももうない。その機会に恵まれたことを感謝です。

 

  • 先人からの繋がり、源へ。

クラニオセイクラルのバイオダイナミクスが機能していない、危険を伴うのは(日本での講座の通訳がいまいちだったので、インドへ講座に参加したことがありますが、完全に危ない場面を見てしまった。)真実が含まれていないこと、そして、オステオパシーの先人からの流れが断ち切られてしまっていることがあるでしょう。オステオパシーのバイオダイナミクスは、現代では失われてしまった、オステオパシーの源流では本当は何をしていたのか、それを現代に復活させようとしたものです。オステオパシーの中でも異端中の異端。マイナーな存在です。創始者の方は、古いオステオパスから口伝で直に教えを受け、さらに探求の末オステオパシーのバイオダイナミクスを創始しました。そこには、自然界の真摯な観察、、尊敬、畏怖があります。その、オステオパシーの流れ、古いオステオパスから同じく学んできた先生からバイオダイナミクスを学んできました。7年目で出てくる真実を、1年目から教えるという真実から始めるスタイルでした。そして、バイオダイナミクスからバイオエナジェティックと名前を改め、コロナの時期を含めて9年が経ちました。

 

  • バイオダイナミクス、バイオエナジェティックの世界

バイオダイナミクスやバイオエナジェティックの世界は、文字では無理です。施術受けにきていただいた方に、時期が来たら適切な時に適切な話をすることもあるかもしれません。。

 

  • 自分の道をゆく

激変、いろんな変革の時期のようですね。バイオエナジェティックの先生はもう日本にはこられなくなりました。これほどの方は、もうなかなかいらっしゃらない。空間を通して、直に伝えられてきたもの。そんなことができる方は、そうはいない。新しく、その教え子の先生がこられるようになりました。この方もすごい、、けれど、あの先生が繋がり直に圧倒的な情報(?)を手渡していたのに比べると、あのすごい世界、、またちょっとちがうかな。日本での状況も様変わりし、去っていく人も多いなか、本当に私たちが伝えられてきたことを見失う人も多くなってきた。感情的な混乱が落ち着くまでは、次の時代はスタートしないでしょう。学びという、枠、、こう言う教えという枠の、外側に全てに共通する何かがあります。それは、畏怖するもの、つながっているもの、魂のあこがれのもの、、。そこからワークを始め、そこから離れず、常にそこに従う。そういうものだったのですが、みな、ルールや学びの枠の中で探究を始め出したようです。そうなってくると、わたしには、、。学び、最終コースはでたいけれど、それ以上に、その魂の憧れ、全てに共通する何か、に直に学びを得る、それは、講座という形をとらず、自然界の中に入っていくこと、そこで、山を歩いていると学びがある、そのように、自分で探究していくしかな時代にさしかかったな。と。当てのない旅、こわい。

 

  • 孤独

これまでは、バイオダイナミクスとバイオエナジェティックという道標、支え、仲間がいて、グループが支え合ってきた。それらを離れ、全てがなくなる。まっくらな空間にポンとひとり真ん中に。どこにも手がかりがない、手を伸ばしても、周りは等しく空間だけ。支え、安心がなくなる。すると、どうなるか?みえてくるものがある。やらなければならないことがわかる。施術と同じ。そこにいて、その暗闇の中にいる時、もう自分にできることは何もなくなる。保証も、安全もない。すると、導きを得るしかない。ただ、耳を澄まし、感覚を研ぎ澄まされる。しぜんに、そうなる。そして、次の導きを、感覚する。これは、山を歩いているときと似ている。

 

  • 感情と、結界

すべての混沌の問題の中には感情があります。バイオエナジェティックの世界観では、感情の領域(リズムや大きさがある。)では決して関わらない。そこにはおかしなものが入ってきたり、変なエネルギーをチャージしていたり、時間と距離がなく相手と取引するエネルギーの奪い合い、念、のある世界。そこからは治療はできず、解消は起こりません。解消が起こる、その感情の領域のリズムをすり抜けられるのが、もっと密度も薄く広い水平線まで広がる自然界の領域、そして、その先に真実の世界、空、リズムのない、、赤ちゃんがやってきたところ、死んだらたぶん帰っていくところ?、、暗いようで光に満ちている領域があります。そこで施術するのが、オステオパシーのバイオダイナミクスやバイオエナジェティックです。感情の領域をすり抜けることができる、、けれど、実際には(日常では)感情の渦巻く世界に攻撃される時も、人間なのであります。常に静けさにいられたらいいのですが、、まだまだ未熟ですわ。。そうなると、人として、施術者として(ある時期に、シフトが起こり、自分のためや特定の誰かのために、生きるということをやめる時期が来るようです。)それは、奉仕、すべてのために、生きる。自分の運命を生きる、自分の仕事をやる。そのとき、感情的なつながりや執着で絡め取ろうとする存在、ひとがいます。邪魔をする。その真実の領域には入れないのだけれど、邪魔されることがある。感情の領域はそれほどやっかいなのです。日本にも昔は多く女人禁制(たとえば、ある修行場の女人結界は、開祖のお母さんが心配して追いかけてこないように、入ってこれないように結界門が作られた、というような解説があったりしますね。感情は、良いも悪いも執着により邪魔をしてしまう。双方が執着から離れるようにということ、そして、修行者にとっての修行の場をクリアに守るためということでもあったのかもしれません。)などの結界門を張ったの修行の場があったそうですね、それにはさまざまな意味があったと思いますが、ひとつには感情を持ち込まない、神聖な場、、自然界のさらにその先にはいり、真実の世界を、奉仕を歩む場、という意味もあったのではないかと思います。とくに、私の個人的な体験として、真実の世界の場であるバイオダイナミクスの学びのコースの中に、おかしなクライアントが入ってきてしまった。執着、じとーっと後ろから見ている、施術の動画を撮りながら、こちらを撮っている。出ていってもらいたい、でも、その人の学び、やがて執着から離れ、感情のドロドロした領域からシフトするはず、それまで、、我慢、、すり抜けられるか?しかし、執着はなかなか終わらない、誰しもそれら感情は自らの生死に関わるほどと思い込むほどの何かの想いとくっついていたりする。4年ほど経った。もう、この方法ではダメか。この場から去る時がきたか。それとも、はっきりと拒否しなければならないだろう。どちらが正しいのか。ただ、やること、奉仕、仕事、真実の道をひとりでいくこと。そのとき、次に何をするのか、どう対処するべきかわかるのかもしれない。

 

  • 道をゆく人

たぶん、本当の真実の道をゆく人、運命をゆく人、自分の役割、”仕事”をするひとは、感情的な領域では捕まえられない。満足を与えたり安心させたりするような、感情の充足のための説明もしない。憎まれ嫌われ誤解されても、それに対して説明もしない。ただ、その道をすすむ、感情から離れた、真実の仕事をするだけ。そのように、去っていく。

 

  • 感情の体が、混沌から透明に、清浄に浄化される。

バイオエナジェティックの世界観では、感情も体に表れたある種のレート(リズムや密度)を持っていると知覚されます。その体は、感情に、執着に、混沌に汚れていたり、ドロドロしていたり、乾燥したり、ずれていたり、する。それらが、施術により、原因の病変が解消され、光に還り、中心軸に満ちる光が外側にまで満ちてくるとき、その体はより透明にサラサラに美しく綺麗になっていきます。それは、感情と連動しているようで、心とも繋がっているかのようです。SEを受けていたりする方で、いろんな施術を受けすぎていて、体の神経システムがいっぱいっぱいになってフリーズしている方もたまにいらっしゃいます。ぼーっとしていて、現実感がない。しんどい、、何もする気がしない。そんな方に普通の世にあるマッサージ的な仕方で施術してしまうと、その感情の領域にある体にさらに負荷をチャージしていき、よりしんどくなる。SEのセッションでも、なかなかきれいにならない。そんな方でも、一度のセッションでかなりクリアに還ってくることもあります。それが、バイオエナジェティックの施術、感情の世界から離れ、執着を滅却する。そんなこともあるかもしれない、ないかもしれない。

 

”問題は誰にでも見つけられる。健全を見つけなさい。- A.T.STILL -” 

混沌の中に”静寂”を見つける。

体の液的フィールド(代謝)が混沌から透明に変化していく。

”わたし”の感じる世界が変わる。