· 

モザイク

 

 

誰かを許す、

 

 

というとき。

 

 

 

**

 

 

 

人の存在には

さまざまなレベルが

つまり、層がある。

 

 

人を構成するものは、

肉体、感情、思考、、生命の神秘、

それぞれの密度の体が重なり合い

それぞれのレイヤーを同時に生きている。

 

 

 

人間界で

生きているとき

 

 

 

この人間社会は

感情のエネルギーのやりとり、

 

 

吸った、吸われた、

水平方向のやりとりで

有限のエネルギーが

あっちへ、こっちへ、

 

 

 

あらゆることは

そのように動いている。

 

 

。。

 

 

肉体、感情、思考、、その人の個性を形作る

エゴ(=我)の領域、

その中でも、

感情、

ここは時間と距離がない、という。

 

 

 

 

離れていても、

その人だと認識している、、

 

その人の、、エネルギーのパターン。

無意識に、感じ取っている、雰囲気。

 

 

 

 

この世界の感情の

やりとり、

 

ねたみ、恨み、

賞賛、執着、

 

まとわりつき、

なかなか離れない、

 

 

ターゲットにされる、

、、。

 

 

それを振り解こうと、

するも、、なかなかうまくいかない。

 

感情のレベルのパターンを認識され

その”ひと”(←感情のレベルの個性)に

遠距離からでさえ、時間を超えて

関わりを持とうと手を伸ばしてくる。

 

 

つかまると、、たいへん。

 

 

そんなことを、

お互いが、みな

この社会で、人間はやっている。

 

 

 

相手からの執着、

どうやって逃れるか?

 

 

相手にターゲットにされているとき

どうやってやめさせるか?

 

 

 

永遠に終わらない(かに見える)

感情のループ、ターゲット、

 

 

 

そこから離れ、

呼吸する。

やり方は二つあるだろう。

 

 

 

 

 

ひとつは、感情のレベルで

バリアを張る、エネルギー的なプロテクション。

 

 

さまざまなツールがあるでしょう、

でも、これでは

終わらない。

感情のレベルで壁を、プロテクションを作るということは、

感情のレベルに、構築している。

感情のレベルに、自分がいる。

 

 

 

そこから離れ、

感情のその先の、感情の波長では捉えられないレベルに変容する、

そこを立ち位置にする。

 

自然界、、あるいは、そのもっと先の

静かな領域、、

そこには感情のエネルギー的パターンは存在しない。

 

 

 

 

そこまでは、よく知っていた。

うまく機能することも体験的に知っている。

 

 

しかし、人間、、まだまだ

感情に惹きつけられ振り回されることも、ある。

そのパターンの外側へいくこと、、。

 

 

 

あるとき気が付いたのだけれど、最近。

 

 

 

 

その人を、許す。

その人を、忘れる。

 

 

そのとき、攻撃は終わる。

 

 

 

ターゲットは終わる。

 

 

 

 

何が起きたのだろうか?

 

 

 

 

相手の、そして、自分の

感情的なレイヤーにある

パターンが変わり、

認識が変わり、認識されるべきパターンが変わる、

つまり、

自分が変わるので、それは、自分の感情的領域のエネルギーパターンが変わる。

だから、

相手から認識されなくなる、

そして、自分もそのかつてのパターンでの認識をしなくなる。

 

 

相手からの攻撃も、

そして、

自分自身がしていた(知らずに)攻撃も、

 

その相手を見失い、

終わる。

 

 

 

 

人が成長したり、

何かを手放したり、

 

 

次の段階にエネルギー的にシフトするとき、

そういったことが

起こっているのでしょうか。

 

 

 

かつて、

 

ワタシだと認識していたものが、認識されていたものが

無くなった。変容し、別の姿になった、

感情の、個性の、我のエネルギーパターンは

変容していく。。

 

 

 

それが、体の変容、

不純物の浄化、、。

そういったプロセスで起こってくることでしょうか。

 

 

 

相手の攻撃をやめさせるとき、

やめさせようとしているとき、

 

自分はそのターゲットの領域に固定化されている、固定化している。

自分の感情的個性のパターンの中で、そうしよう(やめさせよう)としている。

ので、

相手から認識されてしまう。

ので、

攻撃は止まない。

 

 

自分の我のパターンが、変わる必要がある。

ひとつは、我の成長とともに、

エゴから脱却していくことで、自分のパターンが変わること。

 

 

もう相手から認識されない、

そのとき、自分自身はその相手を”許している”。

 

 

そのとき、同時に、

自分が許さないと決めた、あるいは、混沌に巻き込まれ

迷惑を受けていた、

その、思考と感情を発していた自分自身のパターンも変わっている。

 

 

そのパターンを、ターゲットとなるパターンを自ら作り発していた自分自身も

変容している。

 

 

 

人を許すとき、

あるいは、自分が”消える”とき

 

方法は2つある。

 

ひとつは、

自分が変容すること。

 

もうひとつは、

エゴのレベルから、個性のない根源の層に移行すること。

 

 

 

この世を生きる我々は

たぶん、つねに根源のレイヤーに立っていることも難しそう。

自分が変容し、自分のパターンが変わること

 

それが、

許し、なのかもしれない。

 

そのとき、

また何か変容が起こり、魂の(?)成長が起きている。