なんかしらんけど。
感情の世界は
時間と距離がないという、
その混沌や想いの力は
お互いに影響を与えあって
さらなる混沌を。
そこから外れる、
という選択が
あって、それは自分自身で
決めなければならない。
感情の、攻撃、
粘着、執着、まとわりつく
吸い尽くす、
そこから外れる、
しかし、
そこは、
惹きつける力がとても強い、
執着、
選択は、自分自身。
攻撃しているようで、
自分自身を攻撃している、
サイキックアタック、
どないすんねん?
自分で、選択しなさいな。
という感じの世界。
その”選択”は、
どんなもの?
サイキックアタック、
感情のやりとりの世界、
それは、想いの世界、
自分の我の世界、エゴの世界に
属する、執着の世界。
そこから離れる、
という選択、
それは、自分をなくす、エッセンスの世界、
それは、なんという名前で呼んだらいいのだろうか、
その世界は、レイヤーがちがう。
そこから外れる、一つの方法。
は、おいといて、
その感情の領域、そのレイヤーが
同じ波長に同調してしまい、
汚れたり、変なエネルギーをチャージしてしまってたり、
いろいろしてます、生きてたら。
それを、掃除、しないと。
クリアに、浄化しないと、
そら睡眠浅くなるし、疲れ取れないし
ぐるぐる思考は回る。
施術して、体が整ってくると、
そういうところから
離れてくるのは、
そのレイヤーから離れてくる、
本質につながり出す、
というのが一つの理由かもしれない。
そういう理由。
別の言い方したら、
自分の中のエッセンスに繋がる。
自分の中には”仏性”がある、生きている。必ずある。
感情や想いや傷により、そのモヤモヤの雲に隠れている。
もっともっと密度の薄い、、植物や自然界、さらに透明なエッセンスへ。
それは、自分の中にある。そして、外側にも満ちている。
自分の中を覗き込む時、見えるのは感情のモヤモヤの雲。
もやもやの雲の外に、エッセンスに辿り着くこと。
そこからならモヤモヤの雲は巻き込まれずに見ることもできるし、解消もできる。
ヴィパッサナー瞑想で、感情や思考が出てきたら感覚の観察をやめて”呼吸”に戻るのは、
自分のコントロール(=エゴ、感情)の外側、つまり、エッセンスにつながりなおして安定するため。
そのぐるぐるをきれいにするのが、
現代を生き抜く我々には必要。
むかしーの、世界がまだきれいだった頃、
自然界の力が強かった頃は、
人がその中で調和して、自然界の掟にしたがって、生きていた頃は
自然とディスチャージがおこり、浄化されて
新たな日々を過ごしてたんだと思う。
ひとつは、ヴィパッサナー瞑想、
浄化されます。
気をつけなければならない注意点がいくつかありますが、
それは、バイオエナジェティックの世界から理解できました。
瞑想センターにいっても、教えてくれない、
ただ、そのやり方に、完全に反することなくやってれば大丈夫ですが。
もうひとつ、
もしかして、セイタカアワダチソウ、
いいかもしれない。
いままでは、お風呂に入れるだけでしたが、
このあいだ、
お茶にして飲んでみました。
解毒の作用もあるらしく、
もしかしたら、いいかもしれない。
まだ一度しか試してないけど。
植物は、奉仕したくて
そばにやってきているらしい。
より高次の存在とコミュニケーションして
自身も成長したいと願っているらしい。
セイタカアワダチソウ、
現代に必要だから、こんなにたくさんいるのかもしれないね。
外来種の雑草として駆除の対象とされてるけどね。。
あと、なんか思うのは、
お酒、
結構適切に扱わないと害があるような気がする
感情のレイヤーから外れたところにいても、
飲んで、許容を超えて飲むと、
どうも、感情のレイヤーに移行してしまう。
そこで、いろいろ受けちゃって、
体や気持ちを害してしまう気がする。
特定の誰か、という場合もあるかもしれないけど、
社会の集合意識的なやつも。ここ(感情のレイヤー)は影響している気がする。
助けは、やってきている。
それを、
間違えないこと。
願いや、想いの世界に
関わってくる存在は危険。
助け、を間違えないこと。
取引しないこと。
力を、受け取らないこと(!)
力は自分のものにできないし、(したらエライコトになる。)
”パイプ”というのもちょっとしっくりこない、、←パイプになって流す向き先も
流す内容も、なにもかもすべて、自分が決めることはできない。パイプにならず放射することもあるだろうし。
自分を通り抜ける透明な存在になる。
真実の存在は
取引したりはしない。
植物、太陽、自然界、自然界の秩序、
に属するレイヤーのもの。
純粋な太陽の光のような。
月の光のような。
星たちの世界のような。
空を、見上げてみよう。
太陽を、月の光を
浴びよう〜。