昨日届いた本
一冊読み始めてます。
まったくだまったくだー!
不可知なるもの
・・・(中略)・・・「色は空だ。受想行識も同様に空だ」と言うて、五蘊(ごうん)が空じゃということを説明しとる。ここで問題になるのは「空」じゃ。この空がわからぬゆえ、たいていの者が立往生してしまう。
そもそも、物質世界の背後にある空の世界を、言葉や文字でもって他人に伝えようとしたところで、土台、無理な話できぬ相談なのじゃ。「言語道断」とか「不立文字」とかいうくらいなものでな。それでも何とかして伝えたい。そこで、空のことを「無」だとか「不」だとか、さまざまな言葉を使って説明しようとする。じゃが、周辺をぐるぐる廻るだけで、核心に迫ることはできぬ。
もどかしい、じれったい、その割には、真意が相手に少しも伝わらぬ。また、聞いた読んだりする方も、何をどう取ればよいのか皆目見当がつかぬ。説くのも難しく、理解するのも難しい。さすがのお釈迦さまですら、
「唯仏与仏乃能究尽…………」
仏と仏しかわからぬ、と言い切っておるほどじゃからな。要するに、おのれ自身で体得せぬかぎり、空を理解することは所詮できぬというわけよ。
大体、人間どもがものごとを論理的に思考する理性というやつは、この世に存在するものを既知と未知と二つの領域に分けて、未知のものを既知にしようと脳味噌を絞っとる。そして、神が本当にあるならば科学がそれを発見するはずだと考える。ところが現実のこの世には、もう一つ、理性や科学では捉えられぬ不可知の領域がある。それが神であり神秘であり空であり、そして、それを感得するのが直感であり宗教体験であり照見なのじゃ。これくらいのことは、宗教や精神文明を考える際の基本的常識として知っておかねばのう。
土台、不可知なるものは、感じ取ることはできるが、説明したり理解したりすることはできぬものじゃ。説明しようとすればするほど、言葉を失い行き詰まってしまう。それゆえ、不可知なるものについては決して議論を交してはならぬ。理解したがっとる相手すら納得させられぬのに、のっけから耳をかそうともせぬ相手を掴まえて、いかように説き聞かせたところで、呑み込むはずがない。理性や論理は未知と既知の領域で使うがよい。そして、理性や論理では理解できぬ高い次元の領域があることを知っておきさえすれば、それでよい。要するに、空は理性や論理では摑み取れぬということよ。
施術と同じ、ですね。