· 

菩提心

 

 

 

最近いくつか読んでいる本があって

最近興味もっていることもいくつかあって

 

 

すべては共通するところで

動いているんだけれど、

 

 

 

ある文章を

切り取って

みても

伝えられない

 

 

その流れがあるんだけれど

 

 

 

それをどう書こうかと

思うと

なかなか

なんだけど

 

 

 

なんか少しずつ

わかってきたかな

と思うことも

あったりで

 

 

 

。。

 

 

 

 

簡単にいうと

最近思うことはなんなのかな。

 

 

 

 

試しに書いてみよう〜。

 

 

 

 

**

 

 

 

 

これは難しいんだよねえ、

スピ系みたいなことに

受け取られかねないような

表現になってしまいそうなんですけど

 

 

 

 

リアルな話で

書いてみる。

 

 

 

 

 

 

 

天と地があって

わたしがある。

 

 

 

 

天ってなに?

これは表現が難しい。

 

 

地ってなに?

地球。

 

 

わたしってなに?

とりあえず、一つの側面としては体がある。

 

 

 

ところで、ダライ・ラマのティーティングを見てたら

ちょいちょいでてくる「ごうん」ってなに?

て調べてみたら。

 

・仏教で人間存在を構成する要素をいう。 また人間存在を把握する,色(しき),受(じゅ),想(そう),行(ぎょう),識(しき)の五つの方法をいう。

 

・人間を成り立たせている五つの要素。色(しき)(=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(ぎょう)(=心の作用)・識(=意識)。

 

 

など、ネットで出てきました。

 

 

この世界で”わたし”、を構成する要素ですね。

 

 

 

、、。

 

 

『わたし』

 

ボディワーク的に言うと

”わたし”とは、

肉体、感情、思考。

 

という3つの体の構成要素があります。

 

 

そして、この外側の領域に

”わたし”にある根源、

しかし、私と言うパーソナリティの範囲の外側、

という領域があります。

 

これに名前をつけるのは難しいので

たとえば、”無”なのかもしれないし、”静けさ”、、みたいな名前で呼ばれるかもしれない。

ここでは”スティルネス”と呼ぶことにしようかな。

 

 

 

それらが同時に存在している。

 

 

 

、、。

 

『地球』

 

体はどこからやってきた?

地球から。フィジカル、、など。

私を構成する、現実世界に存在するための体は

全て地球からいただいたもの。そして、いつか返すもの。

 

 

この世界で存在する

受肉。

 

 

そして、活動することができる(?)。

現実化(?)。、、うまくいえないが。

 

 

目的が(運命が??)、果たせる、

受肉。

 

 

 

この世界では、

受肉、して、ここにいることが

多分、必要。

 

 

これがないと、しんどいと思う。

ふわーっとして、いる存在だと、

かなり、いろんなもの(感情、汚れ、)に影響を受けてしまう。

 

 

上に行きたいだけでは、

溜め込んでしまい、、。

流れない、アーシング。

 

 

受肉して、ここにいる。

 

運命を果たす、それは、

、、

成長?進化?より高次の、、?

変容していく。わたし。

 

体と地球。

(ボディワークでは、肉体、感情、思考、それぞれに対応する体があると考えますので、もっと正確には)

存在と地球。

 

(かな?)

 

 

私と言う存在には

受肉した体があって、初めて、、

存在は安定する、上にも行ける。

 

 

ないと、嵐に巻き込まれるし

感情や汚れに翻弄される。

わけがわからなくなってしまう。

 

 

受肉、地球。

この世界で生きること。

 

 

、、。

 

 

 

『根源』

 

天、、上って?

スピ系ではなく、

それを話したいんだけど、、。

 

 

昔の日本人が

お天道様と、太陽を呼んでいた。

 

人間界では、

すべてが物質、理論、理屈で動いていて

観測できるもの以外は存在しない。

 

観測って、どうやるの?

 

機器で測定する。

 

その計測器は物質でできていて

計測するとは、その物質に何かが当たること

物質に触れられて、”計測”できるもの。

物質に触れられるものしか、計測できない。

触れられないものは、存在しない。

それが、一般の人間界の認識。

 

 

見えないもの、計測機器で触れられないものを

どうやって計測するか?

 

(見えないものを、信じようとするために

説明してるんではなく、見えないものが

実在するのなら?というお話。)

 

 

 

昔の人は、

見えない何かを信じていた。

シャーマンとかいたりした。

 

昔の人は、

頭が悪かったのでしょうか?

気が狂っていたのでしょうか?

 

 

本当に、見えないものは

”ない”

のでしょうか??

 

 

 

ない、かもしれない。

 

 

しかし、決定的に違うのは

昔の人と、今の人、

体がちがう、体そのものというより

体への意識、つまり、自然界への意識が違う。

 

 

生きている環境がちがう。

 

 

現代人は、思考と感情の中にいて

自然界のリアルにはいない。

 

 

外を歩いていて、

なにがあるかわからない、

どんな獣が潜んでいるかわからない

知覚は全開に、外に開いていて

 

自分は外側の自然界と

常に関係性を保っている。

 

 

切り離して、

思考と感情の渦にいては

死んじゃうでしょう。

 

 

周りを見ている、

周りを聞いている。

語感を全開にして感じている。

 

 

 

すると、

 

 

自然界では

自分の都合にはいかない。

 

 

 

思考と感情の世界では

全てが自分の都合で動いている。

 

 

自分がこう思う、自分の頭で考えた世界、

そこには、未知

がない。

 

人は考える、思考、

人は、知らないことを”考え”られない。

 

思考の構成要素は、全て知っていること。

 

現実は?知らないこと、知っている範囲の外側に広大な要素があり

動いている。

 

知らないことを含めて、考えないと

幻想。

 

 

現代の

ひとは幻想の中に生きている、

ようだ。少なくとも思考と感情で生きている限りは。

 

 

 

 

知らないことを含めること。

 

 

 

 

どうやって?

 

 

 

内観、、

多くの場合は、自分の内側の、、本質に向かうのではなく

思考、知っている要素を組み替えて渦の中に入っていく

思考の外側に到達したい、思考からは辿り着かない場所。内観。

 

 

 

しらないことにどうやって辿り着くことができるのか?

 

 

 

 

話は少し戻って、

 

 

昔の人、ネイティブたち。

 

大自然の中で生きていた。

 

 

自然界の中で生きていると

たぶん

 

自分の都合や理屈では

対応できない、

 

 

自然界に携わっている人に聞くと

たとえば、大地の再生の矢野さん、

五感をフルに使っていると

第六感が知覚されていく。という。

 

それは、現実で、で。

 

https://youtu.be/qos67FaCmh8?t=494

 

それってなんだろう?

 

 

昔の人は無知だったのか?

 

 

春になったら花が咲く

そうさせるものは何なのか?

 

ボディワークの世界で聞く言葉、

そうさせる力は、どこかからやってきて

我々を生かしている、、。生命の息吹。

 

 

春になったら花を咲かせるものは、

組み込まれたプログラム、遺伝子?

 

 

突き詰めていく、、。

そういうことなのか。

ツマラナイ、けど。それがゲンジツ。

。。?

 

 

全世界は、そのように

説明ができる科学によって動いているのか。

 

 

そうかもしれない、

 

 

けど、同じ科学の物理学分野で

量子力学、というのがある。

よくは知らないけれど、

観察者によって、事象が変わるらしい。

 

なんらかの現象が、観測者によって観察される時

それが、AかBか、どちらなのか、

観測される瞬間までは、定まっていない。

AでもありBでもある状態で漂っている。

観測者が観察した瞬間に、AかBかが定まる。

それまでは、とちらでもない、どちらでもある、状態。

 

この不確定な、

不思議なことが物理の世界で?

 

 

なんだろう?

 

 

遺伝子で決まっている、

すべてがわかっていて

規則があって、歯車のように動いている現実世界、なのか。

 

それとも、

 

よくわからないことで動いている世界なのか?

 

 

 

物質としての自然界、

その背景に、

なんらかの存在を感知していた

昔の人たち、

それはリアルだった。

 

現代でも、

 

人間界の仕組みから離れると

不思議が満ちている。

 

 

なぜ、あのひとに

あのタイミングで出会い、

自分は運ばれてきたのか?不思議なご縁、だったり。

 

 

 

どこかからやってきて

我々を生かしている力

それが満ちている世界

 

 

そうだとしたら?

 

 

それを知覚する。

五感を通して

五感では捉えられないものを知覚する。

 

 

 

 

それは本当か?

確かめてみたらいい。

 

そのように生きてみると?

何が起こる?どんな感じがする?

 

 

現実はどのように

動き出す?

 

 

 

エモーション(感情)、思考、、

もっとベースとなっている

我々の根本の存在、、。

 

 

 

五感の使い方が変わると

本当に世界が変わります

 

 

つまり、体が変わると

本当に世界が変わります

 

 

 

その根本になっているのはなにか?

 

 

 

それを

言ってしまえば

我々を生かす力はなにか?

 

 

 

我々を生かす力、

 

 

それを”根源”ということができたら

仏教では何と言うのだろうか?

神道では?アートでは?剣道では?

 

追記、

村上和雄さんは”サムシンググレート”って言うてはりました〜。なんやったかなー、と。

遺伝子のゲノム(?)を解読した村上和雄さんのたしかSWITCHというドキュメンタリー映画に、、

たしか、遺伝子の暗号を解読した、、しかし、それを書いた存在はなんなのか?

わからない、、その存在の、ことを”何かより大きなもの”という意味でしか捉えられないから

サムシンググレート、て呼んでる、みたいな。。記憶。

どの動画か忘れたので、たまたま引っかかった下記動画を参考まで。もっと綺麗に説明されている箇所あると思いますが、取り急ぎ(?)しっかり説明してる動画探してみてくださいなー。

 

 

 

 

ボディワークでは、

それをなんと言うのだろうか?

 

 

 

それが、ひとつのラインとなっている

地球、わたし、天、

その繋がりができてくる。

 

 

 

私の思考、感情、わたしというパーソナリティー

これが私と思っているもの。

 

その”わたし”の背景に、

我々を生かす力が、染み渡っている。

満ちている。

 

 

それが、天と同じもの、

根源と同じものが

わたしたちのベースとなって存在している。

思考や感情の背景に。

 

 

それが、われわれの立ち位置、中心、中心軸に

現れてくる時。

 

 

人間界の都合、わたし、わたし、わたし、

から

シフトが起こる。

 

 

ダライ・ラマのティーティングの動画を見ていて

一番基本になっていること、儀式の前にやることは

菩提心を起こすこと。

 

 

他者のことを尊重すること

他者のために、慈愛を起こすこと。

 

 

他者のため、

それは、私目線のエゴの段階からみると犠牲や制限、苦しみ、憎しみ、損した感じ、奪われた感じ、不自由となる。

しかし、シフトした菩提心、根源、我々のベース、からみるとき、

なんの制限もなく、自由で、

”生きている”感覚がある。

 

 

全く違う次元にシフトしたように。

意味が変わる。

 

 

 

天にあるものが、

我々の内にもある

 

 


それは、確かにあると思える。

 

 

 

天、根源、不思議、我々を生かすもの、

春になったら花を咲かせるもの、

 

なぜなら、知覚があるから。感覚がある。リアルである。
実践すると、そうだと現実が動く。
 
 
施術をそこから働きかけると
治癒が起こる、体が整う、
という現実が起こる。
 
奇跡のようなこと、
だって、起こり得るところ。
 
それが、この世界の現実にある。
 
スティルネス。
 
 
 
**
 
 
 
あれ、なんの話をしてたんだったっけ?
 
 
 
、、。
 
 
 
思考でも感情でも理屈でも理論でもない
スティルネス、菩提心、
そういうところが、人間には
現実には、あるんですよ、ということ。
 
 
 
それが、リアル。
 
 
 
 
感情を無くしたり、フラットで動じない
ということではなくて
 
 
 
もちろん生きている存在だから
あるし、大切なんだけど、
 
何もわからず、巻き込まれて
疲弊していくという現状から
 
その外側にある
ところに出てきたら
もっと現実はわかるし
動くこともできる。
 
 
感情や思考、自分というところが中心の立ち位置から
静けさ、根源、菩提心、という自分の中心に初めから備わり
そこにに立ってみることもできる。
 
 
はず。
 
 
 
そこで動く現実や、そこから見る認識は
きっと、もっと自由で美しいだろうな。
 
 
 
なんか全ては
突き詰めればそこに至るような気がする。
 
 
 
アートでも、武道でも、哲学でも、科学でも、ボディワークでも。
 
 
 
 
**
 
 
 
 
あ、何書こうとしてたか
初めの方読み返したら思い出した。
 
 
 
その、静けさ、
我々の内に備わる菩提心、天と同じもの。
 
 
それを、ここに現れていただくためには、
体を清浄に保つこと、
心を清浄に保つこと、
 
 
なすべきことをなすこと(?)
 
 
みたいなことが
最近読んでる本には
よく出てくるなあ。
 
 
 
(わかっちゃあいるんだけどねー。
 
 
 
でも、最近なるほどなー、
 
 
そのようにしてると、現実も動き出すなー。
 
 
なんて思ったりし始めてます。)