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その霊気が満ちている場所

 

 

最近のいろいろ

いくつか

書いてみよう。

 

 

 

 

 

あるひ、

 

満月のお祭り?

お寺にいってきた。

 

 

 

山上の方にあって

結構寒かった。

 

 

 

 

ロウソクを灯して、

千三百人くらい?の参加者や観光客たち

儀式?

満月、空(宇宙)と地上が繋がる。

お寺の毎年のお祭り。

 

 

 

各自灯したロウソクを

最後に

地面に並べて

円を作る、

 

 

 

そのロウソクの灯は

お寺の奥にある、

消えずにずーっと灯してきた

火から

分けられた火、

ただの火ではなくって

受け継がれてきた火。

 

 

 

 

お祭りが終わり、

深夜2時頃、

 

 

そこはパワースポットとして

有名らしく

 

 

観光客?

 

 

三人ほど

おおあばれ、

 

 

こんなもんか。ひとは。

 

 

 

その円の中に立ち入って、

その中心から

手をかざして

”パワー”を吸い取っているつもりらしい。

 

 

 

そこは、結界、

神聖な大地と宇宙をつなげる

 

 

 

そこにガチャガチャと立ち入って

吸い取って(つもりだろうけど)

写真撮りまくって、

 

風で消えた火を

どうやら

ライターかなんかで着けたみたい。

 

 

受け継がれてきた消えない火で

祭られた

火。

 

 

 

 

別にもちろん

その人が悪い人ということではない。

 

 

 

ここでいいたいのは、

悪い人だから、みたいな話はない。

 

 

 

ただ、ひとは

多くの人は

しらない。

 

そこには

何もないことを。

 

 

 

結界があるところ

繋がりがあるところ

 

神秘が満ちているところ

 

生命力がやってくるところ

 

 

宇宙と月と太陽と大地がつながっているところ

 

 

 

それは、

 

 

人間の考える

常識、知っていること、

物理(粗い)世界では、捉えられない。

 

 

 

手をかざして、

運気をもらうとか

パワーを吸い取るとか

 

そこで

 

やりとりすることは

本当のものはない、

真実も

本当の神秘も

素通りしている

 

波長が違う。

 

 

意図したり、

自分のために使おうとしたり

そういう領域、そこの波長には

その波長にあるものが影響を受けたり繋がったりする。

恐ろしい領域、気をつけなさい。

 

本当のものは

自分のためには使えない。

 

自分のために使おうとしたり

自分の理想のために、

自分に吸い込むために使う時

おかしなところと繋がりができてしまう。

気をつけなさい。

 

 

波長が違う、粘度が違う、

身体感覚でそれとわかる。

 

 

意図はなく、

ただ、自然界にシンクロする

その背景にある我々を生かす力と同じもの

神秘に満たされる。

 

自分がやるのではなく、

自分の考えや理想ではない

 

元々あって

すでに働いている

最も透明で、他者のために

働いている、

慈愛、の領域。

 

 

誰の得ではなく、

誰の損でもなく

 

 

透明で

 

 

粘度はない、

 

 

 

静けさ、、。

 

 

 

その人が悪いのではない

 

そのひとは、

 

多くの人は、

 

自分の想いのために、力を使おうとする。

 

そことは違う領域が

ある。

 

 

そのことを知ったのなら、

たぶん

そんなことはできない。

 

 

 

そして、

 

 

そんなことをしないことが

もっともパワフルであることも知るだろう。

 

 

 

 

 

掴みにいかない。

吸いにいかない。

 

 

 

語弊があるかもしれないが、(我々が真実の力に触れる時、この世界で”われわれが”力を使うことはないから。)

”力をいただく”、とは、

どういうことなのか?

 

 

 

 

ある本を読んでいて。

 

 

宇宙の根源、

我々を生かす力、

 

我々が何かをなすときに、

それは、自分のためではない、

力を、”いただく”、、

 

 

その漢字が、古語だからか

”戴く”、だったの。

 

 

ほほう、いただく、

戴く、

頂戴する

 

 

じつは、いただくって

どういうことなんだろうか、

 

 

今までの、は、

いただくとは、

自分のものとなる、

 

他者やどこかから

権利が自分に移行する、

 

自分に所属して、

自分が行使する、自分の思うがままにしてよい。

 

自分に吸収する、

 

そんな感じで捉えていたと思うんだけれど

 

 

戴く、頂戴する、頂く、

 

頭の上に捧げて、掲げて、

頭を下げて、

 

両手を添えて、

 

 

そのまま進むこと、

 

 

そんな情景が浮かぶ。

 

 

 

それは、わたしのもの、ではない。

 

捧げられ、掲げられ、

自分のものではない、

それは誰のため?

自分が吸収して消化して自分が使うものではない、

 

 

。。

 

 

波長がちがう、

 

 

使い方で、波長が違う。

 

 

自分のために力を行使する時の波長、粘度、

 

 

頭上に捧げて掲げて、

そのまま進むとき、その波長、透明さ。

 

 

 

それが、最もパワフルで

自分の意図や意思がない

ところにある、

幸福感。

それは、頑張って自分でやる喜びや”幸福”とは

まったくちがう波長を持った。名前のない状態。

 

 

 

 

 

なんでも知っていて

間違うことのないところ

 

 

それは、我々を生かす力

自然界を、司る力

すでに働いていて

始まりも終わりもない(らしい)力

 

 

春になれば花が咲く

そうさせるものはなんなのか。

 

 

 

 

 

その霊気が満ちている場所、

そこに触れる時

人は変わっていくのだろう。