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さくら

 

 

大地の再生の

思い出ばなし

 

つづき

 

 

 

広場の反対側に、

ちいさめの木が何本か

密集してるんだけど

 

 

 

そのなかに

一本

桜の木があるらしい

 

 

しかし、

そこに桜の木があることを

誰も気が付かなかったらしい

 

 

そして

 

 

大地の再生の講座の

次の春に

 

 

誰も気が付かなかった

なぜなら

今まで

花が咲かなかった

桜の木が

 

 

満開になったらしい

 

 

 

**

 

 

 

写真の林も

20年ほど

地面は剥き出しで

落ち葉が積もるのは

はじめて

らしい。

 

 

**

 

 

写真撮ってないんだけど

 

泉が湧いた時の

ことを

振り返った時に

 

矢野さんがいうてた言葉が

ありまして、

 

最近のセッションで

感じていたことと

重なる思いでした

 

 

 

ぬかるみ、

 

 

つついていても

次が起こらない、

 

そこで、

 

鉄の棒、

探索棒(だったかな)と名付けられた棒、

実はただの、鉄の、ロープドメに使う

1mほどの鉄の杭

 

 

それで、

 

 

晴れていても乾かない

ぬかるみ

を、つついていたら

 

 

泉が湧いたのだけれど、

 

 

その前に、

 

 

探索棒で、、

しばらく何も起こらない、、

 

 

その時の話

 

 

 

後で矢野さんのお話で聞いたのだけど

 

 

次が起こらない、

そのとき、、

そこで終わらないで

次のきっかけを、

探す?待つ?そこに留まる、

やめずに、、

 

 

すると、

 

 

水が湧いた、

徐々に、

 

そして、

しばらくすると

徐々に水量が増え、

 

泥水は

透明に、

 

小川に、、流れが生まれた。

 

 

 

そこで行き止まり、

というところで、

次のきっかけを、

待つ、探す、耐える、、

 

 

すると、

 

 

”次の次元が開く。”

 

 

 

ということは、

 

 

自然の中で作業をしていたら

よくあることらしい。

 

 

 

その先があり、

次元が開く。

 

 

 

施術でも最近感じていて

以前なら、そこでやめていた

終わりの地点の

 

その背景に、

 

 

なにか、もっと

ちがう、

 

密度の薄い、密度のない

何かが流れている、

 

 

それが、

現れ、次の流れが

起こるのを、

 

 

”現れ”を

 

 

待つ、

 

 

、、ただ待つというよりかは

どちらかといえば、

耐えて待つ、、やめないで

そこに留まる、、

 

 

”次の次元が開く”

ということばが

しっくりくるような

ことが、起こる。

 

 

 

やりすぎ、

いらんことしい、

との区別が、必要なのだけれど、

 

 

”次の次元が開く”

次の次元が開こうとしているのか、

という問いを持つことで

 

その違いが

わかる、な。

 

 

 

勉強になりました。