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満足

 

 

 

先の記事で、

二つの世界、二つの立ち位置

について

書いてみました。

 

 

 

 

 

自分のために、

なのか

すでにそこにある調和、自然の流れ、背景にあるものに

従い、沿うのか。

 

 

 

 

この二つは両方とも

すごい、と思うかもしれない。

 

 

自分のために、自然や植物を利用する、というスタイルで

結果を出す、こともできます。

 

一方、

 

そこにある自然、本来の流れを取り戻す、何も付け加えない、何も人間の意図を入れない、自然を読み、自然に沿う、やりかた。

こちらも、は、すごい、です。

 

 

両方をすごいと思うかもしれない。

 

 

 

でも

 

 

その結果、その現象の背景に流れるものが

全然違います。

 

 

 

一見、すごい、と見えて(実際にすごいのかもしれないけど)

その背景では、、流れを読まず、流れを止める形で、”いい”結果を出した時、

それは

持続しない、先に進まない、いずれ廃れ、放棄される。

流れを止めて、循環を止めてしまい、

自分の、人間の思い、やりたいこと、を優先させてしまったから。

 

 

 

もう一方の、自然の背景に敬意を払い、

その背景にある力に沿ったやり方の場合、

流れが、、治療する。流れが癒しを進める、、人間が、手を貸して、

その流れの始まりを作った、、そして、あとは、その流れ自体が、続きをやる。

より発展し、調和に向かい、、調和に至る、、。

途中で何かあっても、回復力のある、、。

 

 

 

 

それは、ボディワークでもいっしょ、

二つのやり方があります。

 

オステオパシーのバイオダイナミクスやバイオエナジェティックは

後者の方。

 

 

 

矢野さんの(大地の再生)も、

後者の方だな、と思いました、、。まだ一度しかお会いしてないですが。

 

 

 

 

 

 

一見、効果がでている

二つのやり方、、見えないところ、背景がちがう。

流れがあるのか、止めているのか、の違いがある。

 

 

 

では、流れを止めているのか、流れを導いているのか

の二つの違いって何?

 

 

。。

 

 

流れを止める、やりかたは、、

 

 

それは、人間の力、人間の意図を使ってやってしまうとき。

人間の判断、人間の価値、、。

 

 

こうしたいから、こう。

こうであるべき、だから、こう。

 

 

そのやり方すると、ながれに気がつかず、

自然界の背景にある、法則に逆らってしまう。

 

どうやったって。

調和しないことがでてきてしまう。

 

 

 

ここにダムを作って、

雨を溜め、氾濫を防ぐ、、という

 

いい意図をつかっても、

 

結果、流れを止めたダムは、

貯水はしても、ある限度を超えると、大きな崩壊に結びついてしまう。

 

など。

 

そこには、経済的、とか、お金儲け、

みたいなのも

絡んでくる、ので、人間の世界でやると、

自然界、生命の世界とは

矛盾が起こる。

 

当たり前。

 

 

これは大袈裟な例ですが、

小さなことでもそう、頭で考える時、

 

 

知っていることの要素の範囲内でしか、

考えられない。

 

 

その組み合わせは、、、

結果、自分の都合の良いように組み替え、解釈する。

 

だから、

 

考えても考えても、、

時期が変われば、全く逆のこと考え結論付け、

また、次の思考では逆、

ぐるぐるの堂々巡り、おわらない。

 

 

 

 

。。

 

 

 

 

では、自然界に沿うには?

その背景にある、自然を、生命を育む叡智に沿うには?

 

 

 

頭、マインドが使えないのなら?

(いや、もちろん頭脳、知識、マインドは使え、役に立つものですが、順番が違う。)

 

 

 

それは、自然界の観察、、その背景にある

真実を掴むことです。

 

 

 

でも、それはなかなか難しい。

並大抵のひとにはできない、、時間がかかる。

 

 

でも、いろんな分野を突き詰めていくと、、

農業でも、アートでも、料理でも、ボディワークでも、、

似てくるのは、そういうことなのでしょう。

 

 

そういうひとたちは、やっぱりすごいです。

にんげんとして、すごい。

 

 

 

、、

 

 

 

その自然界の背景にある、不思議に気がつき

そことシンクロするには?

 

 

それは、もしかしたら

直感、といわれるものかもしれませんが、

 

 

ボディワーカーは

どのように、それを感知しているか、

というと、、。

 

 

それはまた話が逸れてしまうので

また今度。

 

 

 

ところで、この二つの立ち位置、

その、”価値”

みたいなものってどうでしょう?

 

 

 

価値=つまり、満足するかどうか、

ですね、ある側面では。

 

 

受け手が満足するか、

そして、

わたしが満足するか、、

 

 

ここ、大事。

 

 

 

 

 

満足、、

 

 

 

 

前者のいう、

やりたいことをやって、結果を出す、。

 

それが、満足、達成感、、。幸せ。

 

やったー、どんなもんだい、

うれしー!

 

きれー、満足♡

 

 

一方、

 

 

後者の

ながれに沿う、やりかた。

 

これは、満足を伴うとは限らない。

自然界の背景にある、流れを通す。

 

 

そこには、人間の都合などないから、

人間の”満足”のためになどやらない。

 

 

結果として、素晴らしい効果、

人智を超えたものができるので、

すごい、

 

賞賛をえる”かも”しれない。

しかし、それはときに理解を超えたもの。

理解されない、

あるいは、流れが治療するので、、時間がかかり

因果関係が見えにくい。誰がしたのか、なぜそうなったのか。。

 

 

だから、時には批判されたり

もしかしたら、恨まれることだってある。

 

 

 

それが、ながれに従うやり方を

やっているひとたち。

 

 

 

 

 

 

人間を超えている世界、

自然界を司る世界を感知して

それに従っているから。

 

 

 

 

山の中で、常に危険と美しさが同居している、、世界を生き延びてきたひと

自然界の法則、、それに従うしか生きる術はない。

 

 

里に降りてきて、人間界、、腑抜けた顔

油断している顔、

人間の頭の中の作り事の世界、、

 

美と危険から、遠ざかっているひとたち。

 

 

本当の世界、人間の作り事の世界の背景には

自然界があり、

それに従わなければ生き延びられないことを

忘れて生きられる人たち。

 

 

その腑抜けた夢想のルール、

それに従うわけがない。

 

(もちろん人間やから従うけど、それを基準にはしない。

それより大切なことがある。そこと繋がり、それに従う。)

 

 

 

 

 

 

そんな人もいるかもね。

 

 

 

 

人の満足のためにではなく、

そして、

自分自身の満足のためにでもない。

 

 

 

生命の本質に沿い、

従っている。