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植物を利用する

 

 

 

ガーデニング、

植物、

 

関わり方、

 

 

、、

 

 

たとえば、ここにも

二つの世界がある、

 

2つの世界。

 

 

 

 

、、。

 

 

 

 

そこに何かを創り出すのか

そこに流れを通すのか、

 

 

この二つは全く違う、

ように思います。

 

 

 

 

 

同じ植物と関わるにしても

なにもかもがちがう、

”いいこと”のようで

なにも違う。

 

 

 

 

**

 

 

 

 

いい/わるい

の話は、ここでするつもりはなくって、

 

根本が違う、

その、

ながれについて。

 

 

 

**

 

 

 

 

花をそこに咲かせたい、

この種類の、この花を、綺麗。

綺麗な庭を作るんだ〜。

 

 

 

そのエリアを、作り替える、、

土壌には、微生物がいて、、

その循環、、。土地を作っている。

 

 

その循環、微生物たち、

を、

利用する。

 

 

花を咲かせるために、

その花を、わたしはその花を植えたい、。

 

 

 

 

手を加える、

わたしは

その花を植えたい、咲かせたい。

 

 

 

土の微生物たちの、調和、協力、

循環、、、。

 

 

を利用して、花を咲かせるために

私が咲かせたい花を。

 

 

 

創造する、

土地を、花を、、やりたいことを。

 

人間の創造、力。

 

 

 

花が咲いた〜。

 

 

 

私が欲しい花を。

 

 

 

 

**

 

 

 

植物、その精霊、精霊。

 

 

 

植物、土、循環。

 

流れ、微生物、

 

空気と水の流れ、光。。

 

 

ここは調和している。神に愛された土地。

精霊たちの土地。

 

 

 

そこに、わたしは、

関わりを持つ。

 

 

 

その調和、循環、

流れ、

 

 

完璧な調和と循環の中に、

なにも乱すことなく、

 

わたしは、入らせていただく、

その循環の環の中に、参加させていただく、

 

なにも乱さず、

 

 

そして、

 

去るときは足跡を残さない、

なにも、痕跡を残さない。

 

 

なにも破壊しない、

 

 

調和に参加し、

なにも痕跡を残さず、立ち去る。

 

 

循環はつづく。

 

 

 

 

、、。

 

 

 

 

植物には、効果効能がある、

 

 

植物には、役割、運命がある。

世界に奉仕し、

より高次の存在と関わりを持ち

高く成長したい。

 

 

奉仕したい、その運命、その役割。

この世界への役割。

 

 

 

植物には、

効果効能がある。役割がある。

 

 

 

それは、人間の知っている知識の

範囲の外。人が知っていることなどごく一部。

 

植物の運命、役割は

計り知れない。

 

 

その大きなもの、

全てを含め、

関わりを持つ。

 

 

 

植物から、チンキを作る。

 

 

そのチンキの瓶との関わり方、

 

 

この効果効能が効きますように、

たとえば、お腹痛いのに効きますように、この殺菌効果、が発揮されますように、

精神を落ち着け不安を取り除く、その効果を発揮しますように、

との関わり方では、摂らない。

 

 

それは、植物の役割の、ごくごく一部。

人間の知っている範囲の、限定された役割でしかない。

その限定した、範囲で摂ると、かかわると

その限定した効果役割しか果たせない。

 

 

 

植物の、チンキの瓶と関わりを持つときは、

すべての可能性、植物の全ての運命に開いて

その運命が、成就されますように。

と、関わりを持つ。

 

 

 

それが、植物との関わり方。

植物の運命、、精霊。

 

 

(人にはわからないものを

何と説明するか?表現するか?

比喩的にいうしかない、それら全てを表現するには、、

たとえば、精霊、と。)

 

 

果てしないもの、計り知れないもの。

 

ひとの頭脳や思い、わかっていることなど、

制限にしかならない、

 

 

ひとが、その場の支配者にならないこと。

 

 

ひとは、その精霊たちを

リスペクトし、すでにそこにある輪、

神聖な存在、

調和した循環、

 

 

そこに、参加させていただく、

謙虚さ、

 

 

ひとは一番偉くない。

勘違いしてはいけない。

 

 

ひとは、偉くない

何もできない、

 

そこにあるものに、頼る。

 

すでに、そこに

ある。

 

 

人が創造するものなど

どこかで矛盾ができる。

 

綺麗なものを創るんだ?

それが、どこかで

矛盾を生み、

循環を断ち切る、、。

 

自然は、それを

癒し、また循環を回復させる。

 

 

 

人の創造、は、

自然に沿った時にのみ機能する。

 

つまり、マインドから、

やりたいことからやってしまうと、

調和を乱す。意識は落ちる。

 

 

 

謙虚さ、

 

 

植物の

背景にある、

神聖さに意識を合わせる。

 

 

そこに流れがあり、調和があることに気がつく。

 

調和を導くために、

人が役に立つのなら?

人の役割とは。

自然の中の役割とは、それなのかもしれない。

 

 

 

 

ひとは自然を破壊し

乱す生き物なのか?

 

 

それとも、調和のために

参加し、

 

役割のある

存在なのか?

 

 

 

仕事とはなにか?

 

 

 

 

**

 

 

 

二つの世界、

 

 

その場の支配者となるのか、

それとも

その場に参加させていただくのか、

 

 

 

その場の調和より自分の意図のために

それらを使うのか?

 

 

その場の調和に

助けとなるよう役に立つ

その役割のために、意図(それは自然に沿った意図、自分のための意図ではなく、自分の作り出した意図ではなく、自分のエゴから出てきたものではなく、自然から与えられた意図)を使うのか?

 

 

 

二つの世界とは、

 

二つの立ち位置の違い。

 

 

 

 

**

 

 

 

たしか、グランドファーザーの本に、

(グランドファーザーの生き方、トムブラウン著だったと思う。)

 

 

 

こんなエピソードが。

 

 

 

 

弓矢を作る時、

ネイティブアメリカンの作り方と

白人の作り方の違い。

 

 

 

白人は、

森に出かけ、若木を切る。

 

弓矢に合った、

まっすぐの、いい木を見つけて、

一番強く立派なものを、切ってしまう。

 

自分の目的にあった一番いいものを

切ってしまう。

 

 

、、。

 

 

 

ネイティブアメリカンは、

 

祈りを捧げる。

 

 

創造主、自然の背景にある

われわれを、自然を、皆を生かす力に。

 

 

 

森に出かけ、

 

 

まっすぐな、一番いい若木を

切ったりしない。

 

 

 

森を探し、

 

 

若木が、混雑しているところ、

を探す。

 

 

密集し、

生存競争の激しいところ。

放っておけば、
いつかは生存競争に敗れ
枯れてしまうような若木を、選び、
自問する。
果たしてこの選択がよいのか?
この若木にとって、
そして、この周辺の木々にとって?
さらには、この森全体にとって、
この後、七世代先の孫子たちのとって、
この選択が良いことなのか自問する。
そして、
答えが得られたのなら、
祈りを捧げ、
タバコの葉をそこに捧げ、
敬意を持って
その若木を切る。
**
森が健康かどうか?
ただ自然のままであれば、
人が立ち入らなければ
森は健康に豊かになるのか?
人さえいなければ、
調和し、幸せなんだろう、
と思っていましたが、
どうやら、その本には、
人が入り、自然を、森を助けることが
森の健康、その森に住む動物、植物たちの
役に立つ、人の役割、だと書いてあった。
それについては、
よくわからないが、
そういうことも、あるのだろうか?
たしかに、
場によって違いがある、
澱み、流れが途絶え、
うっそうとして、ジメジメする、
それがよい/わるい
というのは、人の判断に過ぎなくて
自然にとっては関係ないのかもしれないけれど。
流れがあると、、?
、、
聖なる存在と、魔の存在、
が、あるのだとしたら、
魔の存在は
本来の姿、聖なるものに還り、
聖なる存在、美しい流れが
取り戻されるのなら、
それは、そのキーとなるのは
流れ。
水の流れ、空気の流れ、
気の流れ、
滞りを解消し、
流れが、生み出され、空気と水が動き出す。
澱みは澄み、
精霊が帰ってくる、
滞った方がいいのか、流れた方がいいのか、
それも人間の価値判断かもしれないが。
健康な森、土地、
空気、水。
流れを取り戻すこと、
**
自然を見て
その背景の世界をみているのか、
その背景にある流れ。
それに従い、それに沿うのか。
それとも
やりたいことをやるのか。
二つの世界は
大きく違う。